(西向寺)被爆した墓石など

  中区大手町の西向寺に残っている「被爆した墓石など」です。
白神山天遊院・西向寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原爆でお寺は壊滅しました。
1949(昭和24)年に再建されましたが、都市計画で境内は縮小されたそうで、
2000(平成12)年8月に現在の5階建てのお寺に建替えられたそうです。
資料をみていて被爆したものとして墓石の記載がありました。  
                     爆心地から≒70m  被爆当時町名は細工町
西向寺付近は、原爆の爆風がほぼ真上から到達したため墓石の多くは左右には移動しましたが、倒れたものは少なく、墓石(花崗岩)は通常の火災では見られない、花崗岩の剥離(や瓦の火ぶくれ)を起こしていたそうです。
原爆ドームを撮影して本通りに行こうとするときこのお寺の前を通るのですが、被爆墓石が残されているとは思っていましたが、ずかずかと墓苑に入り撮影することは遠慮していました。2007年「被爆した構築物」の頁を充実したものにしようとしていることから、お参りされている方がおられないときに撮影させていただきました。
今(2014)年高松和上のお墓(この墓石も被爆したものですが)を撮影させていただいたので、お寺の頁から分離して、この(西向寺)被爆した墓石などとし、画像を追加してこの頁を編集しました。
 14.04.23.分離独立編集   07.09.28裕・記編集

14.04.17.撮影
広島市中区大手町1-6-18  西向寺

07.05.20.撮影











































































廿












07.05.20.撮影

07.05.20.撮影
剥離がある墓石 上からの圧力で途中が欠けた墓石

07.05.20.撮影




(乙)





お顔も分からぬほど傷ついた石仏 石燈籠、火袋から上は新しく取替えられたようですが、
竿部分は被爆したようです
   (安永4年=1775年)

14.04.17.撮影

14.04.17.撮影



被爆した建物・構築物」編



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  被爆した墓石
  (被爆した)高松和上の墓


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