あたごじんじゃ
愛宕神社

  東区愛宕町に鎮座している「愛宕神社」です。
祭神: 火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
由緒: 正徳(1711-1716)のはじめ頃、この辺りにしばしば火災があり、それにより当神社を京洛愛宕神社より分祀・勧請して町名をも愛宕町と改めました。
昭和20(1945)年8月6日原子爆弾により悉く灰塵に帰しましたが、昭和34(1959)年再建しました。
本殿: 一間社流造(間口一間、奥行一間)、付属社殿:拝殿(四坪)、手水舎(半坪)、鳥居:一基、境内地:百坪
資料をみていて被爆したものとして灯ろうなどと記載がありました。  
爆心地から≒2,,500m  
被爆当時町名も愛宕町
  (駅裏に位置する)愛宕神社の前は何度も通ったことがありましたが、被爆した構築物を撮影したのははじめて訪ねお参りしました。
標柱をみると犬養毅の名前が刻まれていましたので、この愛宕神社とのつながりが何であるのかなと思ったのですがいまのわたしにはわかりません。
 07.10.11裕・記編集

07.08.17.撮影
広島市東区愛宕町5-12

07.08.17.撮影

07.08.17.撮影
社殿 昭和38(1963)年4月24日

07.08.17.撮影

07.08.17.撮影
被爆した狛犬、石灯篭

07.08.17.撮影

07.08.17.撮影
奉獻  大正十三(1924)年四月吉日 尾道 石丈作

07.08.17.撮影
大正十三(1924)年四月吉日 書者 正三位勲四等犬養毅  大正三(1914)年一月建之
(京洛の)愛宕神社: 京都市右京区嵯峨愛宕町1の愛宕山頂にある神社。
本宮に稚産日神(わくむすびのかみ)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)・埴山姫神(はにやすひめのかみ)・天熊人命(あめのくまひとのみこと)・豊受姫命(とようけひめのみこと)をまつる、
若宮に雷神(いかづちのかみ)・迦具土神(かぐつちのかみ)・破无神(はむしのかみ)をまつる。
防火の神として信仰を集め、各地の愛宕社の総本社。中世以降修験者の行場ともなった。
愛宕権現。
(いぬかいつよし)
犬養毅:
(1855-1932)
政治家。(現:岡山市川入)備中庭瀬藩郷士の子に生まれる。慶応義塾に学ぶ(中退)。号は木堂。
郵便報知新聞(後の報知新聞)の記者として西南戦争に従軍。
1890(明治23)年第1回衆議院議員総選挙で当選。
1898(明治31)年第1次大隈内閣で文部大臣。1929(昭和4)年立憲政友会総裁となり、1931(昭和6)年立憲政友会内閣(第29代内閣総理大臣)を組織。
1932(昭和7)年五・一五事件で暗殺された。



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被爆した建物・構築物」編


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