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中区江波東の江波港根際に鎮座の「海神宮」です。
この海神宮は、1945(昭和20)年8月6日被爆しましたが、今日まで地域の人々によって護られています。 |
祭神: |
大綿津見神(おおわたつみのかみ) |
社殿: |
入母屋造、妻入、桟瓦葺(八坪) 境内地:六十四坪 |
由緒: |
文化年間(1804-1818)江波港開港の後、社殿創建と伝えられ、安政7(1860)年再興。明治4(1871)年神社調の際に衣羽神社に合祀されましたが、海洋の守護神として信仰篤く社殿は存置され、後に復旧しました。 |
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資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました、竣工時期不詳、構造は木造平屋
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爆心地から≒3,360m 被爆当時町名は江波町 |
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古事記の海神宮(わたつみのかみのみや:綿津見神の宮)、日本書紀の海幸彦、山幸彦の物語があります。
『海幸彦、山幸彦の二人はそれぞれが持っていた釣竿と弓矢を交換しました。
弟神・彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)が、兄神・火酢芹尊(火照命:ほでりのみこと)の釣りざおで魚を釣っていたところ、釣鉤をとられてしまいました。
別の釣鉤を作り兄神火酢芹尊に返しましたが、返す返さないの押し問答で困っている時、海神の助けで海神宮を訪れ釣鉤を探し出す』という話です。
この話を子供の頃、聴いたことがあります。もう昔々になりましたが少し思い出しました。 |
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資料をみなければ、この辺りをぶらり散歩することもなかったろな〜と思いながら地図をみながら海神社を訪ねました。高潮対策でしょう防潮堤が、海神社があるこの地区を守っているようでした、(2007年)6月でしたが暑い日で汗が吹き出て木陰で汗を拭いて、拝殿前で頭を垂れ撮影しました。
その後、交流ウォーク関係で何度か訪ねた2008年「被爆建物」プレートを広島市が設置していました(2007年にはありませんでした)。
この神社の由緒は、広島県神社辞典に記述がありましたので参照し掲載しました。また、江波山気象館からも見えましたので撮影しました。 |
この海神宮の北側に、2014年3月23日一般道・広島南道路と広島高速3号線が開通したので、この辺りの風景が驚くほど変わったのです。
2015年撮影していましたので、2016年のいまになりましたがこの頁を更新しました。。 |
16.06.10.更新 07.10.13裕・記編集 |