(被爆建物)光徳寺・納骨堂

  広島市南区皆実町に建てられている「光徳寺」です。
※光徳寺・納骨堂は、1945(昭和20)年8月6日爆心地より2,680mで被爆した建物です。
光徳寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。由緒などについて(いまのわたしには)わかりません。
被爆建物 A-bombed Building
被爆時の名称:光徳寺・納骨堂
    爆心地から≒2,680m 
この石造りの建物は、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐えその姿を今日に残しています。                広島市
光徳寺納骨堂は、境内の他の建物が全焼した中で唯一残ったそうです。
   竣工時期は1925(大正14)年頃、石造・平屋
   
   被爆当時町名は皆実町三丁目
毛利輝元(1553-1625)による広島城築城前は、広島湾内海水の下であったあったと思うこの地ですので、江戸時代になってなされた新開後に浄土真宗の説教所として創建され、寺号・光徳寺として、お寺としての歴史は、戦後になってからではと(わたしは勝手に)考えているのですが。
この近くで仕事をしたこともあったのに、このお寺のことも被爆した納骨堂も知らず、資料を見て訪ねました。
15.02.15更新   07.10.18裕・記編集

07.09.19.撮影
広島市南区皆実町6-15-21

07.09.19.撮影
(被爆した)納骨堂を道路側(南側)よりみました

07.09.19.撮影
納骨堂を境内側からみました

07.09.19.撮影

07.09.19.撮影

12.05.17.撮影
納骨堂



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