常念寺

  中区大手町に建っている「龍谷山 常念寺」です。
※常念寺は、浄土真宗大谷派のお寺です。
戦前までは、常念寺という寺号を名乗ったことはありませんでした。(戦前の)十三間の本堂は、明信院ご縁の本堂ともいえるし、常念寺本堂ともいえるものでした。
実態は、明信院も常念寺も固有の本堂が有ったわけではなく、明信院の住職を常念寺住職がする、というものだったのです。
戦後、別院を分離させることになり、明信院は大手町の土地を少し売って、現在中区宝町に大谷派別院としてあります。
寺内にあった、慈徳坊は解散、因伝寺は(常念寺の)隣に建っています。
万休寺は明治に中山(現在東区中山東)に、また当時の境内には、平和公園にあった浄宝寺に助け合いの精神からほぼ無償で土地を譲って、浄宝寺が建っています。
常念寺は、別院を分離しましたが、寺内には明信院のお墓があり、明信院廟、龍谷山(つまり本願寺のことで、現在も常念寺の土地の半分は東本願寺のもの)という山号と、四百年前の真向きの親鸞御影(真向きは、東西本願寺共に別院のみ許可)を東本願寺から許可されて現在にいたります。東本願寺の末寺でもあり、末寺ではない、特殊なお寺です。
※1991(平成3)年浄土真宗大谷派は寺格制度が撤廃され、五ヶ寺撤廃の平等精神をとっているそうです。
※常念寺の縁起などは、お寺の方に教えていただきました
資料を見ていると、被爆した墓石が掲載されていました。
爆心地から≒670m  被爆当時町名は大手町6丁目でした
2007年撮影してこの頁(被爆構築物中心に)編集しました。
爆心地からの距離からほとんどの墓石が倒れたのではないのかと思っていたのですが、資料の画像をみると、ずれてはいても倒壊した墓石が意外と少ないと思ったのです。
現在の常念寺の墓地は戦前の規模からすると区画整理からでしょうがずいぶん狭くなっているようでした。
09.02.15更新   07.12.08裕・記編集

07.09.10.撮影
広島市中区大手町3-1-19

07.04.05.撮影

07.04.05.撮影
墓地

07.04.05.撮影

07.04.05.撮影
被爆した墓石:一見まわりの墓石との違いがわかりました



広島の神社仏閣」編



広島ぶらり散歩へ
   (明信院関連頁)
明信院(真宗大谷派広島別院)
萬休寺
常念寺
  (常念寺の)被爆した墓石


inserted by FC2 system