徳栄寺

  中区銀山町に建てられている「早稻田山 徳榮寺」です。
早稻田山徳榮寺は、浄土真宗大谷派のお寺です。
知新集ぶよると、
『往古は三次郡五日市照林坊末寺で西本願寺派のお寺でしたが、寛延3(1750)年に東方に属しました。・・・』とあります。
資料によると、原爆によって折れた首がつなぎ合わされた地蔵尊、
                                (被爆した)墓石もあると記載があります。
爆心地から≒1,160m  被爆当時町名も銀山町
わたしは、被爆関連の資料といえば多くを、(画像も掲載している)広島平和記念資料館発行:「ヒロシマの被爆建造物は語る」を参考に被爆した構築物を訪ねているのです。
この徳栄寺のこともその資料で知り訪ねました。その中に被爆したお地蔵様の写真が掲載されていますが、編集ミスでしょう、間違って掲載されていました。
また、被爆構築物だけではなく、お寺の事(縁起、由来など)についてわかったことがあればそれを編集したいと思っているのですが、この徳栄寺のことは知新集で少しわかりました。
 08.02.13裕・記編集

07.10.10.撮影
広島市中区銀山町13−19

07.10.10.撮影

07.10.10.撮影

07.10.10.撮影
墓地 天明八(1788)年戊申五月廿四日 宝暦六(1756)年丙子八月二日

07.10.10.撮影
多くのクラック(ひび割れ)が入り、あまりにも痛々しい石仏さま(地蔵菩薩坐像)でした

07.10.10.撮影
墓苑は戦後整備されたようです 墓石の中には 文久二(1862)年、嘉永三(1850)年、明治十四(1881)年



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被爆した建物・構築物」編


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