圓龍寺
  中区寺町に建てられている「藏満山圓龍寺」です。
圓龍寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集によると
往古は佐東郡上安村南部山谷藏満(一説には藏光)という処に居住し宗旨は時宗でした。開基縁起は不詳です。
その後海然という僧が寛政、応仁の頃上京し蓮如上人(1415-1499)の導きで浄土真宗に改宗し、毛利輝元(1553-1625)の広島開発の時広瀬村に寺領を配し、福島正則(1561-1624) の時代に今の寺町に移りました。
寛永14(1637)年六世空了の代に寺法官位飛檐を許され、享保元(1716)年八世性覺の代に餘間に昇進しました。』
とあります。
昭和20(1945)年8月6日原爆により焼失し、戦後境内西側を国道54号線の建設で40%近くを失い今の敷地になったそうです。
常夜灯、墓石などが被爆した構築物として資料に記載があります。
爆心地から≒1,040m 
被爆当時町名も寺町
寺町通りを何度か歩いていますがこのお寺で足を止めた撮影したのは2007年がはじめてでした、敷地が都市計画で狭くなったことにもよるのでしょう、本堂の横には(被爆したと思われるものも含まれる)無縁になった墓石などがまとめられていました。
2009年になって、資料で見た被爆した天水桶を拝見してみようと思い訪ねましたが、墓地を拝見していくうちに被爆の影響が色濃く残る墓石をみていて天水桶の事を忘れてしまっていました。
墓地の西側に来た時(手押しポンプ編を編集していますので)いまも現役の手押しポンプをみましたのでそれも撮影させていただきました。
09.11.30更新   08.04.20裕・記編集

09.11.26.撮影
広島市中区寺町3-13

07.10.12.撮影

07.10.12.撮影

07.10.12.撮影

07.10.12.撮影

07.10.12.撮影

09.11.26.撮影
被爆した常夜燈 被爆した石仏など 手押しポンプ

09.11.26.撮影



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圓龍寺
  (被爆した)墓石など
  (境内の)手押しポンプ


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