いおうさん ようとくいん
医王山 養徳院
  南区宇品神田に建てられている「医王山(いおうざん)養徳院」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第十一番霊場です。
※平成31(2019)年度に広島新四国88ヶ所第11番霊場を返上されました。
医王山養徳院は、曹洞宗のお寺です。本尊は東方薬師瑠璃光如来です。
戦前までは堺町1丁目にありましたが、昭和20(1945)年8月6日原爆投下により堂宇一切を焼失しました。
戦後在家柿原氏の寄附で現在地へ移転しました。御本尊薬師如来は、先住職が出征の時本堂下に安置していたために戦火を免れ無事でしたその御本尊は450年ほど前の作と伝えられています。また、薬師如来尊像は59代宇多天皇の時寛平6(894)年頃海中出現の如来と伝えられていますがはっきりわかっていません。
知新集に「醫王山養徳院沼田郡廣島新開西地方町に在り、藝備寺社寄帖に普門寺塔司養徳院山号寺号なしとあり、町組寺社本末帖には普門寺末寺醫王山養徳院一ヶ寺禅宗二十箇寺の外とあります。・・・(縷々記述ありますが)・・開基桂屋呑林首座、寛永3(1625)年圓寂という位牌がありますが、如何なる人物か判然としないので、普門寺二世惠峰を古の開山とし、國泰寺十四世痴庵を今の勧請開山とする。」とあります。
どこかで聞いたことがあるお寺だなと思ったのですが、広島新四国88ヶ所霊場スタンプラリーではじめて訪ねたお寺だったのです。
2008年7月になって「原爆供養塔納骨名簿)-遺族を捜しています」のニュースをラジオで聞いたときに、そうだった。原爆供養塔建立の原動力になった方々の中にこの養徳院(先の)ご住職・国居道憲師(お名前は資料をみて)を思い出したのです。
資料を見ると、ご住職は病床に伏された昭和42(1967)年までお世話をなさっていたこと、昭和52(1977)年遷化(せんげ:僧が亡くなること)されたことを知りました。知新集に記述がありましたので追記しました。
平成31(2019)年度、3ヶ寺の霊場寺院が入替わることが“広島新四国八十八ヶ所霊場会”により告知され、ここ養徳院は霊場からはずれました。
19.09.17更新  08.08.06裕・記編集
     関連頁:原爆供養塔の略歴史

08.06.15撮影
広島市南区宇品神田3−1−8

08.06.15撮影

08.06.15撮影

08.06.15撮影
境内でクラック(ひび割れ)が入った手水石をみました。
(堺町にお寺があったのであれば被爆した手水鉢だと思い撮影しました)
明治二年四月吉日と読めました
(明治2年=1869年)



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