たかおざん いわやじ  
高尾山岩谷寺
  東区温品に創建されている「高尾山(たかおざん)岩谷寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第二十七番霊場です。
岩谷寺は高野山真言宗のお寺で、本尊は聖観世音菩薩です。
お寺の開創は不詳ですが、観音本尊由来記によると次のように伝えられています。『甲斐国の浪人・近藤三郎左衛門が、伊勢の海にでて魚を獲ろうと網を入れたのですが石仏がかかった、魚ではないと海に投げ返し、一里ほど外海に出て網を下ろすとまた石仏がかかったのです、これは不思議と思い安芸国温品村高尾山上に岩谷を建てて祀りました。爾来岩谷観音と呼ばれるようになりました』
徳川時代末期の神仏分離論の為に府中と温品の間に自村内ではないと争いが起こったそうですが其の後社殿が山上に再建されると広島周辺の信者が列を連ねたそうです。以前は十八丁の急峻でしたが、境内地が崩れたことなどで、現在地に再建され参詣が楽に出来るようになりました。
寺号になっている岩谷は、神武天皇の東征時、この地に上陸されこの山に登られたことで、天皇の名、イワレヒコが転化してイワヤ山となったと伝えられています。
(じんむてんのう)
神武天皇:
記紀所伝の第一代天皇、神日本磐余彦天皇(かんやまといわれ)(びこのすめらみこと)の漢風諡号(しごう)。(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことの第四皇子)。
九州日向(ひむか)から東進して大和地方を平定、紀元前660年(皇紀元年)、大和の橿原宮で即位したという。
(じんむとうせい)
神武東征:
古事記では、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)は、兄の五瀬命(イツセ)ととともに、どこへ行けばもっと良く葦原中国を治められるだろうかと相談し、東へ行くことにしました。
舟軍を率いて日向国を出発して筑紫国へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着くと、宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の二人が仮宮を作って食事を差し上げました。
そこから移動して、岡田宮で1年過ごされました。
さらに進んで阿岐(現在は安芸と書く)国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごされました。
スタンプラリーで女房と訪ねたのです、お参りした後本堂の前でスタンプを探したのですが見当たらないのです、庫裡の建物に人はおられずわからなかったのですが、女房がお札は31番金剛寺へと書いてある掲示があると指示しましたので、ここにはスタンプは置いていないのかなと少しばかりガッカリしたのでした。
 08.08.20裕・記編集

08.06.07撮影
広島市東区温品4-14-15

08.06.07撮影

08.06.07撮影
本堂 鐘楼



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(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)



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