超覚寺
  中区八丁堀に建てられている「林鶯山憶西院・超覺寺」です。
超覺寺は、浄土真宗西本願寺末寺官飛檐でした。
しかし、往古より年久しく東(本願寺)派のお寺になっていたのですが、宝暦3(1753)年12月東本願寺派に属しました。
(現在も浄土真宗大谷派のお寺です)。
いまの寺地は、福島正則時代野間六兵衛の屋敷跡を賜わったもので、浅野長晟が紀伊国から入国した時寺号は長覚寺でした、元和6(1620)年、元和7年ころにも長覚寺でしたが、寛永7(1630)年超覚寺となったようです。
「知新集」
によると、
『開基慶清(俗姓北畠。紀伊国・超覚寺持住、70歳で安芸国に来て超覚寺を開基し97歳:1646年入寂)、山号、院号は北畠大納言親房の隠居後の草庵・林鶯山憶西院から来ています。』
とのことでした。
八丁堀交差点から少し北側に行った電車通りに面していますので、以前からお寺があることは知っていましたが、そこが超覚寺ということは地図を調べて知りました。資料に被爆した墓石の記載がありましたので訪ねました。
11.04.21更新   08.09.08宗派訂正   08.08.19裕・記編集

10.05.17.撮影
広島市中区八丁堀5-2

08.02.16.撮影

08.02.16.撮影

08.02.16.撮影
墓地には、被爆した墓石がいまも残っています



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超覚寺
(超覚寺の被爆した墓石


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