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安佐南区長束に鎮座の「長束神社」です。
*社殿は、1945(昭和20)年8月6日被爆した建物でもあります。 |
祭神
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たらしなかつひこのみこと
帯仲津日子命 |
ほんだわけのみこと
品陀和気命 |
おきながたらしひめのみこと
息長帯日売命 |
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相殿神 |
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平安時代第56代清和天皇の時、貞観12(870)年9月28日長束西大年山に勧請と伝えられています。
中古現在地に遷座。現在の神殿拝殿は文政11(1828)年4月に建造され長束全地域の総氏神です。古くは八幡宮と称していました。明治6(1873)年長束神社と改称しました。未曽有の大東亜戦争の終結を機として昭和21(1946)年国家管理離脱せざるを得なかったが、昭和27(1952)年新設の神社本庁に所属し現在に至っています。 |
資料に被爆建物、長束神社竣工時期:1828(文政11)年4月、木造平屋、の記載がありましたので訪ね参拝したのです。
1945(昭和20)年8月6日原爆の被害を受けて荒廃していたが、1964(昭和39)年に修復再建されたそうです。 |
爆心地から3,690m 被爆当時町名は安佐郡祇園町 |
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この近くで仕事をしたことがありましたが、祇園大橋からすぐのこの長束神社のことは資料をみるまで知りませんでした。長束地区に残る被爆した建物を訪ねたことがありませんでしたので、少しづつ訪ねようと思い、ここ長束神社は2008年訪ね参拝しました。 |
2012年参拝した時に、(2008年にはなかった))広島市設置の被爆建物の説明板が設置されていました。 |
13.09.29.更新 08.09.08裕・記編集 |