(高峯山)隨泉寺

  安芸区中野東に建てられている「高峯山 隨泉寺」です。
隨泉寺は、1604(慶長9)年僧・恵閑(えかん)により開基されました。
恵閑は賀茂郡熊野跡村(現・阿戸町)の薬師堂におられ、蓮華寺二十八末寺のひとつで( 隨泉寺の前身・中野井原地区変電所辺り位置していた)湯原山・法専寺(真言宗)に入寺しました。恵閑が真言宗から浄土真宗に改宗されたものでしょう。
第2世・栄念の時、高峯山下に移し茅葺の本堂が建立され高峯山・ 隨泉寺と改められたといわれているようです。また芸藩通志には慶長の頃、恵閑開くとあるそうです。
時移り、高松悟峰和上(1886-1939)が隨泉寺代務住職の時1909(明治42)年本堂再建発願され1912(明治45)年3月落慶法要が勧修されました。
2000(平成12)年、1110名の懇志が寄せられたことなどで、平成の大改修が行われました。
*「隨泉寺」を随泉寺と間違って記述していまので訂正しました。14.03.29.裕訂正
わが安芸区のまちづくり推進課が作成した「あきく魅力まっぷ」なる立派なリーフレットを先日の蓮華寺山ハイキングの受付の時にいただいたのです。そのリーフレットによるといまから約400年前に建てられたと紹介されています。いままで遠くからお寺があることは知っていましたが、この浄土真宗本願寺派のお寺を今(2005年)回はじめて訪ねてみました。
「隨泉寺本堂等修復事業完成記念」と題された立派な本がわが家の本棚にあるのです。
この中にお寺の縁起のこと、そして高松悟峰和上のことが記されていました。
また、懇志進納者名の中にわたしの名前も印刷されていたのです。
浄土宗宗徒のわが家ですが、わが地域のお寺の修復ということで、女房が寸志を出していたのです。そんなことも知らぬまま、女房任せの人生であることで、今(2009年)をむかえたのです。
2014年3月わが地区の中野公民館主催(共催)瀬野川郷土史研究会の「ふるさと教室」に参加させていただいた時、頂いた資料で“ずいせんじ”のずいの字をわたしが間違っていた事に気が付き、帰宅後「隨泉寺本堂等修復事業完成記念」の本も確認し、いままで間違っていましたので、遅まきながら訂正しました。
また、境内に高松悟峰和上誕生地碑が建立されている事も教えていただきましたので、別頁で編集することにしました。
14.03.29訂正   09.03.02更新    05.05.10裕・記編集

05.04.28.撮影
広島市安芸区中野東7-27-30

05.04.28.撮影

05.04.28.撮影
鐘楼 本堂

05.04.28.撮影

05.04.28.撮影
1000年後に願いを込めて
透き通った青い空 燦燦とふりそそぐ太陽
緑輝く山々 川面を渉るさわやかな風
街に溢れる笑顔 若人の額に流れる汗
穏やかに話こむ老人
瞳を輝かせながらみつめあう恋人達
にぎやかに飛び交う鳥たちのんびりいめむる子猫
そんな世界が続いていることに願いを込めて
今を伝えます。 平成12(2000)年11月5日
高峯山隨泉寺第十六世住職 鎌田哲成
1000年後の今日(3000.11.15)開けてください



「神社寺院など」編


「わが町(旧・瀬野川町)附近」編



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  (初代学頭高松悟峰関連頁)
真宗学寮(高松和上が創建した)
隨泉寺(高松和上生れたお寺)
 勧學高松悟峰和上誕生地・碑
西向寺(高松和上が住職だった)


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