浄修院(概説)
 西区己斐西町に建てられている「浄修院(じょうしゅういん)」です。
浄修院は、大正はじめ頃から起った「日本仏教済世軍」運動に挺身した豊和和尚が当地に来て、昭和初期私財を投じて念仏堂を建立し開山したお寺です。
浄土真宗木辺派に属しています。
  被爆建物(A-bombed Building):浄修院、本堂、庫裏、宿泊所は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐えその姿を今日に残しています。           広島市
資料に被爆建物、竣工時期:1926(大正15)年、木造平屋で、谷間に位置する浄修院には、爆風が山を越えて吹き込み、屋根や建具などがはぎ取られたそうです。
爆心地から3,010m    被爆当時町名は己斐町でした
2005年交流ウォーク己斐地区のときお寺の上に位置する己斐古城跡から己斐の街をみましたがその下に位置しているこの(浄修寺)お寺には気がつきませんでした。今(2008年)回資料を見て、地図を頼りに訪ねました、残暑で汗をかきました、タオルで汗を拭き、庭を拝見しながら回廊で一休みさせていただきました、吹き抜ける風は秋風を思わせるものでした。
庫裏、宿泊所も被爆建物だというのに撮影していませんでしたので、2010年に撮影していました。いまになりましたが、この頁は「浄修院(概説)」とし、「被爆した建物・浄修院」を別頁で編集しました。
12.02.26更新  08.09.15裕・記編集

08.09.08.撮影
広島市西区己斐西町2-16

08.09.08.撮影

08.09.08.撮影
本堂入口 と庫裏入口

08.09.08.撮影
本堂 

08.09.08.撮影

08.09.08.撮影
開山・豊和和尚の碑(淳照釋豊和・碑) 

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影
御本尊 庫裏 宿泊所



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浄修院(概説)
  (被爆した建物)浄修院


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