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安佐南区長束西に建てられている「イエズス会長束修練院」です。
※2005年修練院は、機能充実のため東京都練馬区上石神井に移され、現在は「イエズス会聖ヨハネ修道院西日本霊性センター」になっています。 |
資料に被爆建物、竣工時期:1938(昭和13年)年木造3階建と紹介されています。
次第に戦時色が濃くなっていく1938(昭和13)年、和風を基調とし、三重塔を模した塔を持つ修練院として建てられました。
1945(昭和20)年8月6日原爆により爆心地側の窓ガラスはすべて吹き飛び、内部礼拝堂南側の柱3本が折れ、天井が湾曲しました。被爆後訪れる多くの被災者を収容しました。
1942(昭和17)年から院長として赴任していたアルペ神父(スペイン:マドリッド大で医学を学んでいた)は負傷者の治療に当たったそうです。
幟町天主公教會で被爆したフーゴ・ラッサール神父もここで治療を受けました。 |
爆心地から4,500m 被爆当時町名は安佐郡祇園町でした |
イエズス会・長束(ながつか)修練院のことをわたしは、平和記念聖堂を訪ねたときにラサール神父が被爆後避難されたところで被爆建物と知ったのですが、この辺りに来るのは今(2008年)回初めてで、(被爆した)専念寺を訪ねた後にぶらり散歩しながらこの長束修練院にきました。
資料を見ていましたからキリスト教の教会だなとわかっていましたが、予備知識なしに立ち寄っていたら何の宗派の寺院かと思ったでしょう、安芸門徒を意識して建てられたのだろうなと思いました。 |
08.09.24裕・記編集 |