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南区松川町に創建されている「法流山蓮光院 妙詠寺」です。 |
知新集によると
「法流山蓮光院妙詠寺は、広島新開金屋町地方にあり法華宗のお寺で、開山は日椿本壽(明暦2年=1656年遷化)、開基は浅野光晟(玄徳院殿:1617-1693:在任1632-1672)の御局で寛永7(1630)年物故した蓮光院春月妙詠大姉で、当地に葬られ光晟が当寺を建立菩提所とすると記録にあります。」と記述があります。 |
(けんぽんほっけしゅう)
顕本法華宗: |
日蓮宗勝劣派の一派。日什(にちじゆう:1314-1392)を派祖、京都の妙満寺を総本山とする。什門派(じゅうもんは)と称していましたが1898(明治31)年に顕本法華宗と改称。 |
(しょうれつは)
勝劣派: |
日蓮宗の二大流派のうちで、法華経中、本迹(ほんじやく)二門について、本門がすぐれ迹門が劣っているとする一派。一致派に対する。 |
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妙法蓮華経を構成する二十八品(28章)を、前半の「迹門しゃくもん)」、後半の「本門(ほんもん)」に二分し、本門に法華経の極意があるとするのが勝劣派、二十八品全体を一体のものとして扱うべきとするのが一致派。 |
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資料に被爆したものとして墓石の記載がありましたので訪ねたのです。 |
爆心地から1,630m 被爆当時町名も松川町でした |
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妙詠寺は今回資料を見て被爆した墓石があることを知り訪ねようと思い地図を見たのです、昔この近くで仕事をしたことがあるのでこのお寺の前を何度か通ったことがあり、お寺があることは知っていましたが、お寺の名前までは知りませんでした。墓地で、被爆した墓石を見ていると、原爆死歿者供養塔が建立されていました。近藤芳美の歌碑も建立されていました。 |
11.07.24追記 08.10.03裕・記編集 |