宮内天王社
  廿日市市宮内の砂原に鎮座している「宮内天王社」です。
※古来厳島神社兼帯七社の一社であり厳島の祠官が来てお祭を行ったと伝えられています。
祭神: 素盞嗚尊 神武天皇
相殿: 大山津見命 天受女命 伊邪那岐命 伊邪那美命 猿田彦命
宇迦廼魂命
由緒: 社伝によれば神武天皇御東征の折立寄られたところとして広田社山の麓に祀られ天王宮と呼ばれていましたが、天正年中(1573-1592)津波によって破損し現在地に遷されたと古書に誌されています。
また当社は古来厳島神社兼帯の一社であり厳島の祠官が来てお祭を行ったと伝えられて、社殿や鳥居を造る木材も厳島から給されていました。また、仏苦は別当光代寺がありましたが慶長の末(1615年頃)に廃されました。
明治以後宮内村上組の氏神社として社格は村社となり上組内の神社を合祀して相殿にお祀りし。八坂神社と改めましたが、昭和44(1969)年に氏子の皆様の要望により宮内天王社に再度改称して今日に至っています。
平成5(1993)年12月 宮司 林新 誌
神社設置の由緒板がありますので、それを優先に紹介しましたが、一般的には次のように考えられるのではと。
宮内天王社の天王は、祇園信仰に発する牛頭(ごず)天王のことで、京都祇園の八坂神社が本家で疫神たる牛頭天王を祀り悪疫退散を願った祇園御霊会にはじまります。
牛頭天王はのちに素盞嗚尊と習合し全国に広まり各地で信仰されました。1868(明治初)年神仏分離令により、元々「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていたのが、「八坂神社」と改められました。
総本社の京都八坂神社のそれに習ったのが、宮内八坂神社でしたがいまは、神武天皇との関わりがあるという事を強調する意味からか?宮内天王社の社名に改称されたようです。
2007年9月交流ウォークで訪ねた廣田神社が宮内村・下組の氏神様ということや、神武天皇の東征際この地に住まわれたと伝えられていることや天王址碑が建立されていることを知ったのです。
そこで、宮内村・上組の氏神様が祀られている宮内天王社を訪ね、天王址碑を探してみるかと思っていたのです。広島新四国88ヶ所霊場のお寺をスタンプラリーで訪ねるので広電一日乗り放題切符を購入した今(2008年)回広電地御前駅からはチト離れているこの宮内天王社をぶらり散歩しながら訪ねたのです。
09.07.06更新  08.10.23裕・記編集

08.09.28撮影
広島県廿日市市宮内(砂原)1701

08.09.28撮影

08.09.28撮影
社殿

08.09.28撮影

08.09.28撮影
本殿



「広島の神社仏閣」編


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