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佐伯区三宅に建てられている「三宅山親王院(さんたくざん・しんおういん)圓明寺」です。
※広島新四国88か所霊場第8番です。 |
(三宅山親王院)圓明寺は、高野山真言宗のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩です。
弘法大師空海(774-835)が上不見山極楽寺に留錫(りゅうしゃく)した時、この地を卜(ぼく≒占う)して国家安泰を祈願するため寺院を創建しました。淳仁天皇(733-765:第47代)は三宅山の山号を記した勅額を下賜され勅願寺に指定したそうです。
安芸守に任じられた平清盛(1118-1181)は七堂伽藍をはじめ十五坊を建立し三宅村の地十八町歩を寺領として寄進しました。建保年中(1213-1218)讃岐国善通寺誕生院から僧・宥雅が来て再興しました。その後福島正則(1561-1624)が寺領を没収し無住の寺となりました。
明治6(1873)年圓明寺再興を高野山当局に訴願、ゆるされ、正覚寺(廿日市町)住職が兼務することになり今日に至っています。境内には、厳島の大聖院で遷化された一品任助法親王の供養塔が建立されています。 |
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お寺の由緒は、五日市町誌を参考にしましたが、淳仁天皇(在位:758-764)と空海の創建にずれがあるように思います。 |
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淳和天皇(第53代:786-840・在位823-833)であれば年代的には合うようにも思いますが、お寺さんの見解は確証がないということでした。 |
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任助法親王のお墓がこの圓明寺にも建立されていることを知りましたので、訪ねなくてはと思っていたのでした。今(2008年)回広島新四国88か所霊場スタンプラリーで圓明寺を訪ねてみようと思ったのでしたがスタンプは廿日市の正覚寺で一緒にいただきました。しかし、任助法親王のお墓のことがありましたので、広電楽々園駅からぶらり散歩しながら圓明寺へお参りに行きました。 |
お寺の住所を佐伯区三宅5-339と記述していましたが、三宅5-399とご指摘がありましたので訂正しました。 |
13.06.26訂正 08.11.05裕・記編集 |