(鵜上寺)白雲亭と手水鉢
  府中町石井城にある鵜上寺の隣にあったという「白雲亭」を取り上げています。
鵜上寺の南西に隣り古びた庭は、原田家の旧園で、往古は松の古木か生い繁り滝もあり立派な山水の庭でした。
江戸時代の文人・頼春水(1746-1816)も頼山陽(1780-1832)とともにたびたび遊びに来て、詩文を作っています。
庭の名称の白雲亭は頼春水が名付けたものです。
この庭に珍しい手水鉢がありここ鵜上寺境内からも見えます。もとは石井城にあったものですが、石井氏居所を移す時原田家に寄贈されたものです。この手水鉢に水を張ると宮島の島の姿がうつっていました。
  「松とおく霜はしらゆふ宮じまや よるべの水か石鉢と影」
江戸時代の文人・桃縁斎貞佐(とうえんさい・ていさ)がこの手水鉢の事を詠っています。
あくたがわていさ
芥河貞佐
1699−1779
江戸時代中期の狂歌師。備中(現・岡山県)出身。本姓は丸山。名は濤賀。通称は久五兵衛。別号に桃縁斎、又生庵。
広島の芥河屋の養子となり、町大年寄をつとめる。漢学を伊藤東涯(とうがい:儒学者1670-1736)に、狂歌を永田貞柳(ていりゅう:1654‐1734)にまなび3代貞柳を名のる。蹴鞠(けまり)、茶道などにもすぐれた。編著に「狂歌千代の梯(かけはし)」など。
【辞世】死て行(しんでいく)所はをかし仏護寺の犬の小便する垣のもと
広島新四国88か所霊場のスタンプラリーでここ鵜上寺にお参りした時は、この説明板は読みましたが何処かなと境内を捜しましたが、探し方が悪くわからなかったのです。
2011年交流ウォーク下見の時、藤井先生が下をのぞき込まれ、あの手水鉢が説明板にある手水鉢では?と云われましたので、降りていき、手水鉢と旧庭園をみました。
 .12.05.12裕・記編集

12.03.31撮影
広島県府中町石井城2-11-8

11.10.01撮影

11.10.01撮影

11.10.01撮影

11.10.01撮影
宮島方向は現在住宅街になっていますので、厳島が手水鉢の水に写ることはありません



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