はやたにじんじゃ
速谷神社
  廿日市市上平良に鎮座している「速谷神社」です。
※中世、厳島神社社領が平良莊にも及び、社領内に鎮座する関係で厳島兼帯七社の一社となりました。
主祭神:飽速玉男命(あきはやたまおのみこと) 一座
御由緒:御祭神は天孫降臨の三十二随神の内天湯津彦命五世の孫で、今を去る千八百有余年前、即ち十三代成務天皇の時、安藝國造(くにのみやつこ)を賜い、延命招福農耕殖産往来の便宜の基礎を固められた国土を開拓の祖神であり、安藝總鎮守で交通安全殖産興業延命招福の守護神と稱されております。
古くは延喜式内名神大社で旧國弊中社でありました。
現在は神社本庁所属の別表神社であります。
安芸国総鎮守の大神で、交通安全の守護神として広島県内外に広く知られる速谷神社です。
創祀の年代は詳ではありませんが、1800有余年の古社です。
嵯峨天皇(786-842: 第52代;在位 809-823)の御代、弘仁2(811)年に名神に列せられ、清和天皇(850-880: 第56代;在位 858-876)の貞観元(859)年、従五位上だった神階を従四位下に進め、貞観9(867)年には従四位上に進めました。醍醐天皇(885-930:第60代;在位897-930)の延喜5(905)年の「延喜式神名帳」では名神大社に列せられ、安芸国で最高の社格を誇る神社だったのです。
中世は桜尾城主藤原氏歴代の崇敬社であり、近世では広島藩主福島氏、浅野氏の尊崇も厚く、社領・神宝が寄せられ社殿の修造営が行われるなど、各時代領主の崇敬を受けましたが、(廿日市)平良の庄の一郷社に過ぎない時代もありました。しかし大正13(1924)年国幣中社に列格されました。
その後敗戦を経て昭和21(1946)年官制廃止になり、神社本庁所属の別表神社となりました。現在の社殿は平成元(1989)年に造営されました。
(広島市内で多くの路線で走っている)広島電鉄バスに乗ることがしばしばありますが、そのバスに貼付けられた速谷神社のプレートを見ていました。
また、昔々の社格で云えば厳島神社よりも上位の神社であったと聞くこともしばしばあったのです。わたしは車を運転することもなく今に至りましたが、この速谷神社を訪ねお参りしたのは交流ウォークの増田先生と極楽寺にご一緒させていただいた途中に立ち寄った2008年11月がはじめてでした。
 09.02.02裕・記編集

08.11.17撮影
広島県廿日市市上平良308-1

08.11.17撮影
國弊中社速谷神社  大正13(1924)年11月19日 浅野長勲書の神社銘柱が建っています

08.11.17撮影

08.11.17撮影

08.11.17撮影
拝殿から本殿をみる

08.06.07撮影
交通安全のお祓いを受けている自家用車に出くわしましたので撮影させていただきました



「広島の神社仏閣」編



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「旧・廿日市町」編


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