おざき じんじゃ
男崎神社
  東区矢賀に鎮座している「黒崎神社」です。 
祭神:帯中津彦(たらしなつひこ)命、品陀和気(ほんだわけ)命、息長帯姫(おきながたらしひめ)命
相殿神:奥津日子命、奥津比売命、言代主命、須佐之男命
男山八幡宮(石清水八幡宮)から勧請したと云われていますが、その年月日は詳らかではありません。治暦年間(1065-1069)の勧請という伝えもあります。
1591(天正19)年頃の毛利氏の八ヶ国御国絵図に矢賀八幡三石四年一升給付と出ています。旧社格は村社でした。
1971(昭和46)年拝殿、幣殿、祝詞殿を再建しました。
いわしみず
  はちまんぐう

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊にある神社。旧官幣大社。
祭神は品陀別命・息長帯姫命・比売大神(ひめおおかみ)。
859(貞観元)年宇佐八幡宮を勧請したのが起源。石清水放生会(ほうじょうえ)は三大勅祭の一。宇佐、筥崎とともに、三大八幡といわれる。男山八幡宮。
JR矢賀駅までが「二葉の里歴史の散歩道」として指定しています。交通の便からいえばそうなるのかもしれませんが、その先に被爆建物の覚法寺、被爆建物の(矢賀)熊野神社があり、そこまではわたしは何度か訪ねたことがあったのですが、その先に位置するこの男崎神社を2012年になりましたが、はじめて参拝しました。
社殿は鉄筋コンクリート造に建替えられていましたが、基礎部分は建替えられた時に鉄筋コンクリートとして一体に施行されたようでしたが、本殿建屋は以前の(歴史を感じさせる)木造でした。帰宅後広島県神社誌をみると1856(安政3)年再建とありましたので、その時の建屋を修復しながら今日に伝えているようでした。
帰り際にみた鳥居、後に広島市長になった豊島陽蔵寄進の鳥居でしたので別頁で取り上げました。
 12.07.24.裕・記編集

12.03.22撮影
広島市東区矢賀2-3-16

12.03.22撮影

12.03.22撮影

12.03.22撮影

12.03.22撮影
漢和辞典によるとアは、崎の俗字 昭和6(1931)年7月吉日 「屋島の戦」奉納額
なすのよいち
那須与一
(生没年未詳)
鎌倉初期の武将。下野(しもつけ)の人。名は宗高。与市・余市とも。源義経(1159-1189)に従い、文治元(1185)年屋島の戦いで、平家の扇の的を弓で射落とした話で有名。

12.03.22撮影
本殿:一間社流造、銅板葺き、間口二間半、奥行二間。1856(安政3)年再建。

12.03.22撮影



「広島の神社寺院」編



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男崎神社
  豊島陽蔵寄進の鳥居


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