(霊風山)養専寺
  安佐北区安佐町飯室古市に建っている「霊風山 養専寺」です。
霊風山・養専寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
地名辞典飯室の項によると
『養専寺はもともと真言宗のお寺で、広島水主(かこ)町から移転。』とありますが、いつ移転したかの記述はありません。
境内に建立の石柱をみると
第21世として森重一成住職が1975(昭和50)年9月13日お寺を継がれたことがわかりましたので、江戸初期かその前室町後期の開基であろうと思いますが。
しんらん
親鸞
1173-1262
鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖。別称、範宴・綽空しやくくう・善信。諡号、見真大師。日野有範の子と伝える。
初め比叡山で天台宗を学び、のち法然(1133-1212)の専修念仏の門に入る。1207年念仏停止の法難に遭い、越後に流罪。赦免ののち長く関東に住み布教と著述を行う。法然の思想をさらに徹底させ、絶対他力による極楽往生を説き,悪人正機を唱えた。
主著「教行信証」は、他力の立場から浄土教の教理を純化・体系化したもの。ほかに「唯信鈔文意」などがある。唯円編の法語集「歎異抄」は有名。
えしんに
恵信尼
1182-1268?
 鎌倉時代,親鸞の妻。
京都から越後(新潟県)に流罪となった親鸞にしたがう(一説には越後で結婚)。ゆるされた夫とともに関東,京都でくらし、のちひとり越後にかえったとされる。善鸞(?-?)ら3男3女を生む。晩年娘の覚信尼(1224-1283)にあてた10通の手紙(恵信尼消息)は比叡山や関東などでの親鸞の行状がしるされ,貴重な史料となっている。文永5年?死去。
本堂根際に親鸞聖人石像と恵信尼のレリーフ画・碑が建立されていました。
親鸞の石像は珍しく思い、恵信尼が扱われた碑も珍しく思い撮影し、辞書を引いてこの頁で取り上げました。
2016年になりましたが、飯室村忠魂碑を訪ねたのです。碑を訪ねるのに目標建物がこの養専寺でした。
可部の街から国道191号を進み国道191号から国道261号線に入ってすぐで、お寺はすぐにわかりました。
原爆慰霊碑としても戦後改修された飯室村忠魂碑を撮影した後、お寺も拝見し撮影させていただきこの頁を編集しました。鐘楼門根際に建立の「弘眞院之碑」は、お寺に関わる人物なのかとおもいましたが、いかなる碑かがわかりませんでしたので取り上げませんでした。
 16.06.22.裕・記編集

16.06.19.撮影
広島市安佐北区安佐町飯室1479

16.06.19.撮影

16.06.19.撮影

16.06.19.撮影

16.06.19.撮影
親鸞聖人石像と恵信尼のレリーフ画・碑

16.06.19.撮影

16.06.19.撮影



「広島の神社寺院」編



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(養専寺前)常夜燈、道標


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