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安佐北区安佐町飯室(いむろ)古市に建立されている「飯室村忠魂碑」です。
当初、1932(昭和7)年に日露戦争(1904~1905)で亡くなった2名を刻んだ忠魂碑として建立されました。
戦後、1971(昭和46)年に日露戦争から太平洋戦争までの戦没者と原爆犠牲者(122人)を慰霊するために(広島市と合併する前に)改修されています。 |
当初 |
(正面) |
忠魂碑
陸軍大将 鈴木壮六書 *(1865-1940 )1919(大正8)年第五師団長 |
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(裏面) |
昭和七年十月建之
日露役戰死 故陸軍歩兵上等兵 勲八等功七級 繁岡光五郎 沖本鶴五郎
同病歿 故陸軍歩兵一等卒 |
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戦後 |
(台座正面) |
慰霊のことば
このたび累次の戦いに尊い命を捧げられた方々の霊をこの碑に合祀し慰霊いたします。 どうぞ故郷の地に永久に安らかにお眠り下さい。 昭和四十六年四月 |
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(台座他面) |
軍属の部:16名。国民義勇隊の部:2名。学徒動員の部:13名。
軍人の部:54名
(つづき)35名 |
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旧飯室村の日露戦争から太平洋戦争までの戦没者と原爆犠牲者、122人を慰霊するため改修されています。
碑周囲の台座に犠牲者の地域・お名前が刻まれた銘板が取り付けられています。(下段に画像)
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『原爆犠牲者は、遺族会の合祀名簿には国民義勇隊2名、動員学徒13名、軍人7名、軍属4名の計26名が原爆犠牲者であると記録されている』と資料に記載がありました。 |
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-飯室村の略沿革- |
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1889(明治22)年4月1日市町村制施行時、高宮郡飯室村。
1898(明治31)年10月1日安佐郡飯室村。
1955(昭和30)年3月31日飯室、小河内、久地、鈴張、日浦各村合併して安佐町となりました。
1971(昭和46)年5月20日広島市に編入されて安佐郡安佐町は消滅しました。 |
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資料でこの飯室村忠魂碑が建立されていることは以前より知っていましたが、訪ねる足(交通手段)の問題で2015年(被爆70年)にも訪ねていませんでした。
2016年になり息子が父の日だから行きたいところに行って外食でもしようと云ってくれたのです。そうだな~と考えて、息子運転の車で、この「飯室村忠魂碑」を訪ね親子頭を垂れ戦争で亡くなった方々のご冥福を祈りました。
どうも最近は目がかすみ、碑面に刻まれた文字も読みにくくなっていますが、この時は鈴木壮六大将揮毫であると云うので、(広島の)第五師団長をした人物だから揮毫を頼まれたのだろう、他の碑でもその名が刻んであるところを見たことがあると、少しばかりの解説はできましたが。 |
16.06.21.裕・記編集 |