大林八幡神社

  安佐北区大林町に鎮座している「大林八幡神社」です。
   大林八幡神社                大林地区史跡保存会
祭神*は、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇です。
当社は、1918(大正8)年大林村議会の議決により(三入村の)三入八幡神社から分幣し、それまでの大林村に存在していた中須賀(なかすか)八幡神社〔若宮八幡社とも称していた〕と代田(だいだ)八幡神社を合祀して大林薬師堂(伊勢が坪薬師堂)の横に一社を建立し、1919(大正9)年10月22日大林八幡神社としたものです。
(分幣した)三入八幡神社は、熊谷氏が三入の荘地頭職に補任された翌年・1222(貞応元)年安芸国へ下向の際、伊勢が坪の鬼門(東北)の草田原の峠に伊勢が坪城の守護神として八幡社を建立しました。その後、本城を(三入の)高松山に移した際、下町屋村へ分幣・三入八幡社と称されました。これが三入八幡神社です。
広島県神社誌によると、祭神は上記三柱のほか玉依姫命を加えています。
大林村略沿革
1889 明治22年4月1日 市町村制施行時、高宮郡大林村。
1898 明治31年10月1日 高宮郡+沼田郡=安佐郡となり安佐郡大林村となりました。
1955 昭和30年3月31日 大林村+可部町+亀山村+三入村=(新しい)可部町となり、大林村消滅
1972 昭和47年4月1日 安佐郡可部町は、広島市へ編入消滅しました。
大林八幡神社を訪ね参拝した主目的は、境内に建立されている(旧大林村)戦没者慰霊碑を訪ね頭を垂れ撮影することでした。
大林八幡神社も撮影しましたので大林八幡神社のこの頁を編集しました。
この頁に境内で見た「紀元2600年記念標柱」「大正10年鋳造の梵鐘」を加えるとみにくくなると思い、別頁を編集することにしました。
また、大林薬師堂は、説明板を読むと現在は大林八幡神社の境内の一部になったようですが、もともとは薬師堂があったこの地に大林八幡神社が創建されたということから別頁で編集しています。
16.08.22.裕・記編集

16.08.20.撮影
広島市安佐北区大林町3697 

16.08.20.撮影
大林八幡神社社殿        (大林村)忠魂碑と(戦没者)慰霊碑

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影
本殿:三間社明神造、銅板葺き、四坪、1971(昭和46)年再建 

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影



「広島の神社寺院」編



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大林八幡神社
  紀元2600年紀念標柱ほか
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