(大林八幡神社)紀元二千六百年紀念標柱ほか

  安佐北区大林町に鎮座の大林八幡神社の標柱が紀元二千六百年紀念として建立されています。
また、境内に建立の梵鐘が、大正十(1921)年製造と刻まれていました。多くの梵鐘が先の大戦中金属供出で失われている中ここ大林八幡神社の梵鐘が供出を免れていたことを知りこの頁で取り上げました。
1872(明治5)年に、神武天皇(大和の橿原宮で即位したという)即位の年(西暦紀元前660年)を皇紀元年としましたが、いまは普通用いられません。
1940(昭和15)年が「紀元2600年」にあたることから政府は、1935(昭和10)年「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や皇族関係陵墓の整備など記念行事の計画・推進を進め、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められていたため、これらの行事はおしなべて神道色の強いものだったようです。
大林八幡神社を訪ね参拝した主目的は、境内に建立されている(旧大林村)戦没者慰霊碑を訪ね頭を垂れ撮影することでした。
大林八幡神社も撮影しましたので大林八幡神社の頁(別頁で)を編集しましたが、その頁にここで取り上げた「紀元2600年記念標柱」「大正10年鋳造の梵鐘」を加えるとみにくくなると思い、この頁を編集することにしました。
紀元2600年関連の頁の一項目として、また可部の町で見た神社の梵鐘、二宮鋳造(戦後の呼称)が関わっていることがわかったからでもあります。
16.09.01.裕・記編集

16.08.20.撮影
広島市安佐北区大林町3697 大林八幡神社

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影
紀元二千六百年紀念  昭和十五年十月佳日 厳島大聖院住職吉田恵光識  寄附者2名
大林八幡神社梵鐘
 境内に建立の梵鐘が、大正十(1921)年製造と刻まれていました。
多くの梵鐘が先の大戦中金属供出で失われている中ここ大林八幡神社の梵鐘が供出を免れていたことを知りこの頁で取り上げました。
ここ大林八幡神社の創建が大林村議会の議決を経ていることから、金属供出から免れたのかなと思いながら撮影しました。
可部町内の上原八幡神社、末広神社でみた梵鐘は戦後鋳造されているものでした。
ここ大林神社の梵鐘製造が二宮工場となっていました。上記両神社の梵鐘が二宮鋳造でしたので、二宮鋳造が戦前戦後鋳物工場として活躍していたことがわかり、また作人の中に中野さんの名字をみましたので親子か祖父子関係にある人が鋳造した梵鐘でもあるのだろうと思いました。
金属類回収令
戦時中の1941(昭和16)年8月30日(勅令第835号)公布、鉄や銅など、銃や砲弾に使う戦略物資の不足を補うため、政府が公布しました。家庭のなべや寺院の釣り鐘などが供出されました。1945昭和20()年10月19日閣議において「戦時法令の整理に関する件」が決定され、廃止されました。

16.08.20.撮影

16.08.20.撮影
 大林八幡神社 什物 大正十年四月三十日

16.08.20.撮影
可部町 二宮工場製造  作人:山縣米吉、河瀬重雄、中野眞之助



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