大林薬師堂(長迫山現正院長福寺廃寺跡)

  安佐北区大林町の大林八幡神社境内の「大林薬師堂(長迫山現正院長福寺廃寺跡)」です。
現在は大林八幡神社の境内に創建されている薬師堂のように思われますが、もともとは長迫山現正院長福寺であったが、廃寺となった跡地に大林八幡神社が建立されたそうです。
   大林薬師堂            大林地区史跡保存会
この薬師堂については諸説ありますが、1813(文化10)年萩熊谷家から来村した家臣某の墓参報告と1819(文政2)年大林村庄屋が広島藩に提出した書き出し帳を整合してみると、この薬師像は熊谷氏が当地地頭職として補任されたことに際し、武蔵国から守り来たもので、そしてこの地に一寺を建立、長迫山現正院長福寺と名付けこの薬師像を本尊としてお祀りしたものでしたが、熊谷氏が長州萩に移ったことで廃寺となり、薬師堂として福王寺抱えとなったと伝えられています。
この薬師像には体内に薬師像があることから腹籠りの薬師と云います。
現在の堂宇は、1920(大正9)年村社・大林八幡神社建立の時、代田八幡社の建物を移し、薬師如来を安置したと伝えられています。
「承久の乱」(1221)の戦功により安芸国に入った当時・熊谷氏は当初三入荘北端に伊勢ヶ坪城を構え、居城としました。しかし戦乱の世になり、平坦な丘にある伊勢ヶ坪城の防備に不安を感じ、当主・熊谷直経(1283-1365)は急峻な高松山に居城を構えた。これが三入高松城です。
しかし、応永年間(1394-1428)に築城されたとする説などもあり、正確な築城年月は不明です。
熊谷氏は、後に毛利氏の家臣となり、関ケ原合戦の敗戦で毛利氏が萩に転封したのに従い萩に移ったのです。
大林八幡神社を訪ね参拝した主目的は、境内に建立されている(旧大林村)戦没者慰霊碑を訪ね頭を垂れ撮影することでした。
大林八幡神社を撮影しているときにここで取り上げた薬師堂の説明板を読むと、この薬師堂の方が歴史は古いことを知りましたので、大林八幡神社とは別頁で編集しました。
また、大林薬師堂は、説明板を読むと現在は大林八幡神社の境内の一部になったようですが、もともとは薬師堂があったこの地に大林八幡神社が創建されたということから別頁で編集しています。
16.09.02.裕・記編集

16.08.20.撮影
広島市安佐北区大林町3697 

16.08.20.撮影
境内社かと思いましたが社は代田八幡社のおさがりでしたが(薬師如来を安置した)薬師堂でした

16.08.20.撮影



「広島の神社寺院」編



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