たまなわ じんじゃ
玉縄神社

  安佐北区可部町大字勝木に鎮座している「玉縄神社」です。
祭神:天太玉命(あめのふとだまのみこと)、大年神、大宮女神
由緒:
創祀年代は不詳です。(神社の上側現在団地になっている辺りの)尾首城城主に松浦甚五郎左衛門がなると、当地の産土神を守護神として崇敬し、社殿を改修したと伝えられています。
1956(昭和31)年権現神社を合祀、1994(平成6)年以後に社殿が建替えられ現在の社殿になっています。
尾首城跡(おくびじょうせき:中世、山城)    〔亀山公民館の資料などを参照しました〕
『最高所の1郭の東に小郭を配す簡単な構造で、その位置や構造から、見張等のためと考えられています。
可部方面から恵坂峠を越すと真正面に水越山(525.7m)があり、この東斜面は、現在(グリーンライフ)住宅団地になっています。(この辺りに尾首城がありました)。団地が造成される前は水越山から突出た丘陵のような地形をしていました。この尾首城についての記録は少なく、江戸時代のものに「松浦甚五左衛門城主、退転相知不申候」と残されているだけです。この山は別名を「首取山」とも云っていました。』
中世の頃、熊谷氏が三入庄の地頭職として入部して以来、この地方は熊谷氏とのかかわりの中で、時に争い、時に和し、権謀術策をくり返しながら発展したそうです。
熊谷氏は、後に毛利氏の家臣となり、1600年の関ケ原合戦の敗戦で毛利氏が萩に転封したのに従い萩に移ったのです。
2017年になりましたが「生めしめんかな」の詩を創作した原爆詩人(と云われる)栗原貞子さん(1913-2005) のお墓を訪ねたのです。
そのときの目標建物がこの「玉縄神社」だったのです。まず、この玉縄神社に参拝しましたので、参拝後撮影しこの頁を編集しました。
17.02.01.裕・記編集

17.01.12.撮影
広島市安佐北区可部町大字勝木1397

17.01.12.撮影

17.01.12.撮影
神社額 と 拝殿格天井

17.01.12.撮影

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17.01.12.撮影
本殿:一間社流造 屋根・(赤)瓦葺

17.01.12.撮影

17.01.12.撮影
拝殿内に掲げられている、旧;拝殿(平成6年5月撮影)、権現神社合祀記念(昭和34年)



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