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東広島市志和町大字志和東に建てられている「金沢山千手院 並滝寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所第三十七番霊場です。 |
並滝寺は、真言宗・御室派のお寺で本尊は千手観音菩薩です。
天平5(733)年行基の開基で往古は末寺(まつじ)四十八坊を有する大寺院であったと伝えられています。
生城山城主天野隆綱が寺田を施し、また毛利氏も寺領三百石を寄せたといわれていますが、福島正則の時代に寺領は没収され衰退し、浅野氏の時代に復興されました。宝暦7(1757)年秋、大風により吹き倒されこれを機会に本堂以外境内の建物が次々に再興され現在見られるような寺観が整いました。
江戸時代この地方の寺院はほとんどが茅葺(かやぶ)きでしたが並滝寺は江戸時代の寺院の雰囲気を残す貴重な文化財です。 |
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本堂 |
1771 |
明和8年 |
再建。三間四方の密教本堂で様式は唐様※が主体。屋根は重厚な茅葺 |
金毘羅社 |
1798 |
寛政10年 |
建立。茅葺き、一間社流造といいこの地方に多い簡素な建物 |
楼門 |
18世紀 |
中後期 |
建立。下層を白漆喰で塗っている龍宮造※と呼ばれる形式。屋根は寄棟造、茅葺 |
鐘楼 |
1804 |
文化元年 |
建立。龍宮造。上層は方一間で華頭(かとう)窓を開き、屋根は入母屋造、棧瓦葺 |
仁王門 |
18中〜 |
19世紀初 |
建立。後間に仁王像を安置する。柱の中世のものを使っています。 |
庫裏 |
1797 |
寛政9年 |
建立。大規模な庫裏で仏間や数寄屋造※の書院を備え、床の間は室床※です。 |
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櫻の名所とラジオで紹介していたので花見しながら弁当を食べたのが数年前でしたが、今回はお寺を撮影しようとした事で由来などを知ったのでした、途中の道も随分変わっていて(整備されるから迷わないはずなのに)迷ってしまいました、親切な案内板の設置が必要かな、なんておもったのでした。 |
資料は(社)東広島市観光協会設置の説明板を参考にしました。 |
05.05.12裕・記編集 |
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05.03.20.撮影 |
東広島市志和町大字志和東3439 |
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05.03.20.撮影 |
05.03.20.撮影 |
阿形仁王像 |
吽形仁王像 |
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05.03.20.撮影 |
05.03.20.撮影 |
鐘楼 |
楼門 |
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05.03.20.撮影 |
本堂 |
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05.03.20.撮影 |
05.03.20.撮影 |
かやぶき
茅葺き |
茅で屋根をふくこと。また、その屋根。 |
(かや)
茅;萱: |
屋根を葺(ふ)く丈の高い草の総称。
イネ科植物のススキ・ヨシ・チガヤ・カルカヤ・カヤツリグサ科植物のスゲなど。[季語]秋。 |
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05.03.20.撮影 |
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本堂内部 |
木鼻は獏(バク)の彫刻 |
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からよう
唐様 |
中国風。からざま。 |
りゅうぐうづくり
竜宮造 |
社寺における楼門の造り方の一種。下部は漆喰(しつくい)で塗り固め、中央にアーチ型の通路をあけ、上部は木材で軒を組み、入母屋の屋根をのせる。木部を丹や群青(ぐんじよう)などで彩色し、異国趣味が強い。 |
関連: |
赤間神宮(山口)でみた竜宮造 |
すきやづくり
数寄屋造 |
茶室風の様式を取り入れた建築。安土桃山時代から江戸初期にかけての茶の湯流行に伴い、邸宅に用いられた。装飾を排した簡潔さを特徴とする。 |
しょいんづくり
書院造 |
近世に行われた、書院と呼ばれる建物を中心とする住宅の様式。寝殿造りを母体とし主殿造りを経て発達してきたもので、現代和風建築の基本となる。玄関・台所などを別棟として建て、個々の建物は単一の機能をもち、二、三室から成る一列型の平面を示す。主となる座敷は、多くは上段の間とし、床(とこ)・違い棚・付け書院などを備える。また、外側には雨戸をたてる。明暦(1655-1658)の大火以後に広く普及した。 |
むろどこ
室床 |
茶室の床(とこ)の形式のひとつ。天井・脇壁などのすべての入隅(いりずみ)を壁土で塗りまわしたもの。 |
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