いかりじんじゃ
碇神社

  中区白島九軒町に鎮座の「碇神社」です。
古くは箱島明神とも称していました。
祭神:大綿津見神(おうわだつみのかみ)
由緒:創建は奈良朝時代初期(約1250年前)此の地其の昔海辺なりし頃当碇神社の社辺り※に大岩盤在り太古よりしばしば舟が難破せし為地と海の神を鎮祭し奉ることに始まる従って当広島に於ける最古の氏神と考証される。
天正十七(1589)年毛利輝元公広島城築城に際し改めて社殿を造営社領の寄進を為す。当白島地区の産土神として親まれ尊崇を集めた。
昭和二十(1945)年八月六日米軍投下の原子爆弾に依り灰燼に帰す仮社殿に於し祭祀せしも昭和四十(1965)年春氏子崇敬者の協賛を得て再建今日に至る。
往来の舟が碇を降ろしたことから碇神社と呼ばれるようになったそうです。
知新集によると、僧仙が毛利氏より寺地を賜り、1599(慶長3)年宝勝院を創建したとあり、境内には(鎮守)碇大明神の社や、稲荷大明神の社があると記述があります。
爆心地から≒1800m   被爆当時町名も白島九軒町
以前(東区)牛田旭に住んでいましたのでここに神社があることだけは自転車で通り過ぎ、バスの中からみていましたので知っていましたが、被爆した樹木がいまも生き続けていることなどは知りませんでした。
撮影に行ったときは花の季節が終ってからでしたので被爆した櫻は既に葉桜に成っていました、また、資料をみていてタブノキもあったのかと撮影に行きました。
2012年2月参拝した時(いままで社殿前の引き戸は閉まっている時ばかりでしたが)、戸が開けられ巫女さんがおられましたので、参拝後撮影させていただきましたので追記しました。
2015年(被爆70年)隣の宝勝院に建立の「大田洋子被爆の地碑」を再び訪ねましたので、碇神社の本殿を撮影していました。2016年になりましたがこの頁を更新しました。
 16.12.21.更新    05.05.18裕・記編集

05.05.11.撮影
広島市中区白島九軒町12-20

05.05.11.撮影
社殿

12.02.04.撮影
拝殿

15.04.09.撮影
拝殿と本殿

15.04.09.撮影
本殿:一間社流造、銅板葺、骨組み鉄筋コンクリート造(間口一間、奥行一間)

07.07.18.撮影

07.07.18.撮影

08.03.31.撮影

06.04.06撮影
(碇神社)
被爆した構築物
(碇神社)
即位記念碑
(碇神社)
皇太子殿下御成婚奉祝記念・碑
(碇神社)
手押しポンプ
08.04.07分離編集 08.04.11編集 08.04.12編集 08.04.06再編集

12.02.04.撮影
太田川河口地域推定図(15世紀ころ)
漢字を知らない(苦手の)わたしは、恥ずかしいことに、イカリといえば『錨』の字を思い浮かべ、鉄で出来ているから金偏だと納得します。昔、この碇神社からさほど遠くない牛田に住んだことがなかったら『碇』の字は読めなかっただろうな〜と思っています。
(いかり
碇;錨:
「いかり」は、海中の石を意味する古語「いくり」と同源とか言われているようです。
綱や鎖をつけて水底に投下し、これによって船をその場所に停止させておく船具。
古代から中世には石または石と木を組み合わせた木碇を使ったが、近世以後、鉄製となる。
関連頁: (平戸でみた)オランダ船の錨、中国船の碇



「神社寺院など」編


「牛田・二葉の里附近」編



広島ぶらり散歩へ
碇神社
(境内の)被爆樹木・サクラ、タブノキ
  (境内の)被爆したサクラ満開
(境内の)被爆した構築物
(境内の)即位記念碑
(境内の)皇太子殿下御成婚奉祝記念・碑
(境内の)手押しポンプ
       (碇、蒙古軍関連頁)
碇神社
(広島市郷土資料館)元軍船碇石
(長崎平戸)オランダ船錨、中国船碇石
(福岡志賀島)蒙古塚


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