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東区牛田本町に建てられている「壽永山・安樂寺」です。 |
安樂寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
1533(天文2)年天台宗から浄土真宗に改められ現在地にお寺が建てられました。
1758(宝暦8)年の広島城下の大火※が神田川(=京橋川)を飛び越し安楽寺も類焼したそうです。
本堂は1788(天明8)に再建され今日に至っています。 |
江戸期から明治の初めにかけて寺子屋が開かれ牛田小学校〔1874(明治7)年賛成社(さんせいしゃ)として建てられた〕の前身になったそうです。 |
1945(昭和20)年8月6日(月)米軍投下の原爆によって本堂や山門は屋根や壁が剥ぎとられ骨組だけになり庫裡は倒壊し、境内の幼稚園では数人が負傷したそうです。 |
爆心地より≒2,190m (被爆当時町名:牛田町本町区) |
※08.09.01訪ねたときに広島市が設置した「被爆建物」のプレートが取り付けられていました→ |
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1948(昭和23)年本堂の応急修理が行われ屋根がそぎ板※で葺かれたそうです。
1953年頃二回目の修復で屋根を瓦葺きとなり、原爆で傷ついていた仏像が修理されました。本堂は現在も原爆の爆風の影響で北側に傾いているそうです。
山門は1990(平成2)年に宝暦の大火、原爆の惨禍にも耐えた大イチョウを慈しむように屋根の一部をカットして建てられました。 |
※(そぎいた)
削ぎ板;枌板: |
〔古くは「そきいた」〕そいで作った薄い木の板。
屋根を葺(ふ)くのに用いる。そぎ。 |
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昔はというかいまもかも知れませんが、お寺といえば銀杏が、火災の類焼を防ぐものとして銀杏が植えてあると子どもの頃に教えてもらったのですがこの安楽寺のイチョウもその役割を果たしてきたようです。
お袋が住む(わたしが生まれた)家はここから400mくらい東の処にあり、原爆で傾いたというわが家は既に建替えられていますが、二人の息子(兄)たちが通った牛田小学校の前身がこのお寺の寺子屋だったということは今(2005年)回資料を調べていてはじめて知りました。 |
被爆樹木・イチョウの標識が新しく白色被爆樹木標識になっているはずなので撮影に、(久しぶりに)2018年になりましたがここ安楽寺を訪ねたのです。
安楽寺お寺も久しぶりに撮影したので、この頁に加え頁を更新しました。 |
18.08.28.更新 05.05.22裕編集 |