にっつうじ
日通寺

  東区牛田新町に創建されている「英心山 日通寺」です。
英心山日通寺は浅野二代藩主光晟(1617-1693)の夫人満姫(まんひめ=自昌院じしょういん)の晩年の願いで元禄5〜8(1692〜1695)年に建立された日蓮宗のお寺です。
本堂は近年(1991年)再建されたそうです。
寺名は三代綱晟(1637-1673)の法名:天心徹性日通による。 自昌院は前田利家(1538-1599)の孫だそうです。
知新集によると日通寺は法華宗のお寺として掲載があります。
『寛文3(1663)年天心院殿(浅野網晟)尊骸この山中(今の浅野山緑地)に斂れせ給い、そのころ國前寺が菩提寺だったので同年より20年間國前寺持分で番僧を付けたが、不受不施争論※が起り、元禄4(1691)年停止となり、元禄5(1962)年國前寺寺領召上げられ天台に改宗されましたが、城下に菩提所になる天台寺なく、加茂郡の阿弥陀寺が福島正則入部のころから住職もなかったので大破に及んでいましたが形はかなり残っていたので此地に引移し、自昌院殿の法名と天心院殿の謚名の二つをとって英心山日通寺と改められました。・・・・開基は日崇の時よりと考えられます』
などと記述しています。
(ふじゅふせは)
不受不施派:
日蓮宗の一派。本山は岡山県御津町の妙覚寺。
1595(文禄4)年京都妙覚寺の日奥が一派を分立、「法華経」の信者以外からの施しを受けず、また他宗の者には施しをしないという教義を唱え、江戸幕府から邪宗として弾圧された。
1876(明治9)年、釈日正が再興。日蓮宗不受不施派。
今(2005年)回はじめて訪ねた日通寺でした。日蓮宗の事を少し調べてみました。
2009年「牛田・二葉の里附近」編を見直していますので、知新集で日通寺の事を調べてみると、多くのスペースを割いて日通寺の事を記述していました。
2012年訪ねお参りした時は、法要があったのか本堂前の引き戸が開けられていましたので撮影していました。2014年のいまになりましたが頁を更新しました。
資料は東区区政振興課発行のリーフレット他を参考にしました 14.12.15.更新   05.05.12裕・記編集
   関連頁:広島浅野宗家と赤穂浅野分家の関係図

05.06.07.撮影
広島市東区牛田新町1-3-13

05.06.07.撮影
本堂

12.02.04.撮影
本堂内部

12.02.04.撮影

05.06.07.撮影
「南無妙法蓮華経法界萬霊」の石塔と門柱 日通寺
(なむみょうほうれんげきょう)
南無妙法蓮華経:
〔法華経に帰依する意〕
日蓮宗で、法華経を信仰し加護を求める心持ちを表して唱える語。御題目。
(ほっかい)
法界:
仏教の真理の立場では万物は平等で無差別とされるところから、特別な関係にあるべき人との間に、その関係を認めない場合や、無縁の他人を縁故のある人と同様に扱う場合に用いる。
(ばんれい)
萬霊:
よろずの人間や動物の体に宿って、心のはたらきをつかさどり、また肉体を離れても存在すると考えられる精神的実体、たましい。

05.06.07.撮影

05.06.07.撮影
梅鉢紋入手水鉢 (加賀金沢藩前田家紋:剣梅鉢紋)
邪鬼?石
手水鉢の後ろ側に置いてあります、本堂の西側ですので東側はと探したのですがなくこの一個だけのようです。邪鬼かどうか四天王像があっかどうかなどはいまのわたしにはわかりません。
(じゃき)
邪鬼:

たたりをなす神。また、もののけ。妖怪。四天王像の足の下に踏まれている怪獣

(してんのう)
四天王:
仏教を守護する四神。帝釈天に仕え、須弥山(しゆみせん)の中腹にある四王天の主。
東方の持国天・南方の増長天・西方の広目天・北方の多聞天をいう。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配され、甲冑をつけ武器を持ち邪鬼を踏む形。
(しおうてん)
四王天:
〔仏〕 六欲天の最下にある天。四天王とその眷属(けんぞく=血のつながりのあるもの、一族)の住む所。
(にちれんしゅう)
日蓮宗:
1)日蓮が開いた仏教の一宗派。「法華経」を唯一の所依とし、久遠仏への帰依と「南無妙法蓮華経」の唱題による成仏を説き、現世における仏国土建設をめざす。
日蓮の死後廟所(びようしよ)とされた甲斐身延山久遠寺が布教の本拠となったが、のち日蓮宗・日蓮正宗・法華宗(本門流・陣門流・真門流)・顕本法華宗・日蓮宗不受不施派・本門仏立宗などの分派が生まれた。法華宗。
2)日蓮宗の一派。身延山久遠寺を本山とする。
(にちれん)
日蓮:
(1222-1282)
鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。字(あざな)は蓮長。諡号は立正大師。安房(あわ:千葉県南部に相当)小湊の人。
12歳で仏門に入り、諸宗を各地で学ぶ。「法華経」によってのみ末世の国家の平安もありうることを悟り、1253年に日蓮宗を開き、辻説法で他宗を激しく攻撃し、論破した。1260年「立正安国論」を幕府に献じ国難を予言していれられず、伊豆に配流。赦免後も幕府・諸宗批判をやめなかったため竜口(たつのくち)で斬られかけたが、佐渡に流された。許されて、甲斐身延山に隠棲。武蔵国千束郡(東京都大田区池上)で、六老僧を定めて没した。著「開目鈔」「観心本尊鈔」など。
(ほっけしゅう)
法華宗:
「法華経」をよりどころとする宗派の意
1)天台宗(天台法華宗)の別名。
2)日蓮宗(日蓮法華宗)の別名。また、日蓮宗内の教派名。本門流・真門流・陣門流の三流派がある。
『日蓮聖人は遺文「妙密上人御消息」の中で、「日蓮はいずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず」と述べていることから、日蓮聖人を元祖として、その名を用いた日蓮宗・日蓮正宗などの宗名は、日蓮聖人の後の人が作り出したものであり、日蓮聖人の意に反した宗名です。』と法華宗で云っているものもみます。
(てんだいしゅう)
天台宗:
日本八宗・中国一三宗の一。
インドの竜樹に始まり、北斉の慧文(えもん)・慧思(えし)を経て隋の智丈ッ(ちぎ)により大成された大乗仏教の一宗派。
法華経を所依とし、止観の実践に基づき、中道・実相の世界を説く。
日本へは奈良時代に唐の僧鑑真(がんじん)が初めて伝えたが定着せず、平安初期に入唐した最澄が比叡山に寺院を建て宣教して以後、大いに広まり、次第に密教色を深めていった。のち山門派と寺門派に分裂し、さらに下って真盛派も生まれた。天台法華宗。法華宗。止観宗。天台円宗。台密。
日本八宗: 日本の代表的な仏教の八つの宗派(しゅうは:同じ宗教の中での分派)のこと。
天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派・浄土真宗大谷派・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗をさす。
☆八宗用の数珠・仏壇とある場合は、宗派問わずに使用出来るという意味になる。



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「牛田・二葉の里附近」編


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