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東区山根町に建立されている「(尾長天満宮)旧蹟社」碑です。
※仏舎利(二葉山平和塔)に行く歩道途中から牛田東の古天神社に行く小道沿いの林の中に建っています。 |
2008年参拝した(尾長天満宮)古天神社に設置されている「旧蹟の碑」を読むと、
『尾長天満宮は元、祭神少名毘古那神と合わせて五座を祀る神社で、明星峯にあって天神宮と称しました。
佐東城主武田の家臣串氏、三代実録貞観元(859)年3月26日壬午授安藝國正六位上大麻天神従五位下とあります。
・・・・中略・・・・
明治4(1871)年地形崩れ社殿が倒れたので尾長天満宮へ当分相殿として鎮座しました。其の旧蹟は古天神として今尚瑞泉谷に在り、当山を境外として上地されるまでは依然小社の築石等あり四方注連を引き猥りに人の出入りを禁じ保存されていましたが今隠滅しました。
大正15(1926)年9月豪雨により尾長天満宮社殿悉く損しました。
昭和12(1937)年5月吉日御旧蹟の碑を設け記念としました。
平成11(1999)年此地(東区牛田東1-19の天神公園)に尾長天満宮古天神社御旧蹟の碑を建立しここに記念としました。』とあります。ここで取り上げたのは上記由緒にある、昭和12年5月建立の「旧蹟の碑」です。
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2012年になって、(尾長天満宮)古天神社が建立されている天神公園から“二葉山平和の塔”に行っていた山道の根際で小祠をみたので足を止めたのです。
小祠の根際に石柱が建っており「尾長天満宮御旧蹟」と刻まれており裏面を見ると「昭和十二年五月・・・」と刻まれていましたので、「旧蹟の碑」で読んだ御旧蹟の碑がこれだったのだとわかりましたので、この頁を編集しました。 |
14.10.30.裕・記編集 |
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12.02.04.撮影 |
広島市東区山根町 (山根町のようですが牛田東、光が丘の境界が近い) |
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12.02.04.撮影 |
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12.02.04.撮影 |
尾
長
天
満
宮
御
旧
蹟
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12.02.04.撮影 |
昭
和
十二
年
五
月
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尾長天満宮北側(天神川源流付近と思われるところに)御旧蹟碑、東側に現在の古天神社 |
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