せんりゅうじ
専立寺

  南区京橋町に充てられている「為安山・専立寺」です。
為安山・専立寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
寛延3(1750)年11月東本願寺へ改派しましたが、宝暦2(1752)年5月西本願寺派に帰山しました、開基を浄道といいますが、もともとは高橋大九郎為資、次郎為安兄弟で高田郡横田村松尾城に立て籠もり戦ったが毛利元就に攻め落とされ兄は討死、弟・為安降参してしばらく毛利家に仕えたが後の出家して浄道と名乗り横田村に一宇を草創しました。
そののち毛利輝元が広島を開発した時に寺地を賜りました。
爆心地より≒1580m 被爆当時町名:金屋町
広島駅から≒5分くらいの処に位置していますからよく前を通っていましたし、被爆ソテツがあることも知っていました、今(2005年)回立ち寄り撮影しました。
被爆したソテツは爆心地から1590mですが、被爆した墓石は1580mと資料にありました。撮影していた画像を失い今(2008年)回再度撮影に行き、お寺の縁起を知新集を調べ、頁を再編集しました。
08.08.18更新    05.10.11裕・記編集

05.09.17.撮影
広島市南区京橋町19-8

05.09.17.撮影

08.08.16.撮影
被爆した後に新芽を吹いて育っているソテツ 被爆した墓石にも献花が・・・

08.08.16.撮影



広島の神社仏閣」編



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専立寺
(専立寺の)被爆樹木・ソテツ
(専立寺の)被爆した墓石


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