本照寺(概説)

  中区小町に建てられている「光瓊山 本照寺」です。
本照寺は、日蓮宗のお寺です。
知新集によると、「法華宗勝劣派京都勅願所妙滿寺末寺で開山は日榮で妙滿寺25世大僧正日殿上人の弟子で天正18(1590)年5月晦日日殿上人遷化の後賀茂郡飯田村妙福寺へ住職しました。
福島正則の家臣小河若狭守安良、日榮を帰依し廣島に迎え石見屋町に小庵を結び、後若狭守下屋敷を寄附して一宇を建立し香馨山本照寺と号す・・・・」と記しています。
この本照寺にはインドのパル博士の大亜細亜悲願之碑が建立されています。
原爆死没者慰霊碑碑文『過ちは繰返しませぬから』に疑問を呈した博士の考え方もあるということから今回編集しました。
ラダ・ビノード・パール(英語表記: Radhabinod Pal:1886-1967)
印度法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長。ベンガル人。カルカッタ大学理学部、法学部卒業。
日本関係では、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」で知られる。東京裁判以降、国際連合国際法委員長や仲裁裁判所裁判官として国際法に関与。
パル(orパール)博士の言葉の一部を引用して大東亜戦争が美化されないことを願うのです、日本が欧米列強の国々に変わり亜細亜に君臨しようとしたのが大東亜戦争の本質※であったとわたしは思っていますから・・
今(2006)年5月の交流ウォークで訪ねるまで、高濱虚子の句碑があることは知っていましたが読めませんでしたし、佛心塔があることはわかりましたがその由来や、稲生武太夫の墓、阪井虎山の墓のことは知りませんでした。
09.0201更新    05.10.13裕・記編集
  関連頁:原爆死没者慰霊碑碑文の主語をめぐる論議   河野洋平衆議院議長挨拶の言葉(2005年平和記念式典) 
  参考頁:(靖国神社建立)パール博士顕彰碑

05.10.10.撮影
広島市中区小町7-24

05.09.17.撮影

05.09.17.撮影
西側から佛心塔と本堂をみる

06.05.11.撮影
高濱虚子句碑と大亜細亜悲願之碑
大亜細亜悲願之碑

05.10.10.撮影














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05.10.10.撮影

ベンガル語の慰霊詩文は 東京軍事裁判でただ一人真理と国際法に基づき日本の無罪を主張し原爆投下の非人道性を指摘したインド代表判事パール博士が 昭和27(1952)年の秋来広の際 斯の碑建立の趣旨に共感し半日瞑想推敲して揮毫されたものである アジアの民族運動と戦禍に倒れた満蒙華印等動乱大陸の多くの人々の面影偲び浄石にその名記し石窟内に奉安 有志恒相倚り碑を建立した 
慰霊の式典をかさねること33回 昭和43(1968)年5月恒久協力浄域を整え再建す 日文源田松三筆 英訳文エ・エム・ナイル 碑銘大亜細亜は宮島詠士先生遺墨に依る

’05.10.10.撮影

果敢な反英実力闘争を経て 日本に亡命したインド独立運動志士ラスビハリホース氏に信任されていたことを同行のAMナイル氏から聞かされたパール博士は筆者に親近感を持たれ慰霊文執筆を快諾された。
英文中のLORDを真理としたのはマハトマカンティの真理の把持による。 
 本照寺再興住職
   筧義章 記
※1995(平成7)年8月15日村山富市首相が戦後50年に当たって発表した談話が参考になります。
先の大戦に関して「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、多くの国々とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました」という認識を示し「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を表明しました。
村山首相が社会党出身というに事とどまらずその後の(自民党中心の)日本政府の基本的見解となっています。



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