きんりゅうぜんじ
金龍禅寺

  中区小町に建てられている「寶珠山(ほうじゅざん)金龍禪寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第七十番霊場です。
金龍禪寺は、臨済宗妙心寺派のお寺で、本尊は釈迦如来です。
元和5(1619 )年紀州より浅野長晟(1586-1632)が、安芸の国42万石の国主となりその後、寛永9(1632)年浅野光晟(1617-1693)のとき紀州の名刹金龍寺を移設、塔堂を建立しました。
昭和20(1945)年8月6日の原爆により、一瞬に山門、鐘楼、塔堂、寺宝の一切を焼失しました。
いみじくも開山370年を徴し、千載一遇の機会として、檀家一同の奉賛によりここに由緒ある菩提寺の平成の大再建(平成12年:2000年)をしたものです。  
生活信条:
(大本山・妙心寺)
一日一度は静かに坐って身(からだ)と呼吸を調えましょう
人間の尊(とう)とさにめざめ自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
生かされている自分を感謝し報恩※の行(ぎょう)を積みましょう
 
被爆樹木をみる事を中心に訪ねた前回とは違い今(2006年)回の交流ウォークでは本堂内部も拝見しました。
天井画は撮影したのですがわたしのデジカメでは全体が入りませんので、ここでは説明板を紹介しました。また生活信条が目に入りましたので取り上げました。
新しい被爆樹木標識になっているだろうと、被爆クロガネモチを撮影に来た2018年、広島新四国八十八ヶ所霊場第七十番霊場ですので改めてお参りして撮影したので、この頁を更新しました。
19.09.12.更新   05.10.15裕・記編集

05.10.10.撮影
広島市中区小町9-37

05.10.10.撮影

05.10.10.撮影

06.05.11.撮影
本堂

06.05.11.撮影
禅寺の本堂には法の雨を降らせるという意味から、雲を呼ぶといわれる「龍」が描かれるのが決まりとなっています。
金龍禅寺の天井に描かれた「宝珠雲龍」図の大作と周囲32枚の花鳥図は東光会会員をはじめとする新進気鋭の作家による「奉賛画」であります。いずれも活力にあふれた格調高い作品で、見上げる人々の心の安息を醸してくれます。
交流ウォークで訪ね天井画を撮影しましたがわたしのデジカメでは全体が撮影出来ませんでした。
説明板で紹介しました。
06.09.30更新
(ほうおん)
報恩:
(1)恩にむくいること。恩がえし。
2)特に、仏・祖師などの恩にむくいるために法事などを行うこと。
(ぎょう)
行:
1)〔仏〕〔梵 saskra〕
  (ア)五蘊(ごうん)の一。初めは心の意志的働きをさしたが、のちには存在物一般をさす。
  (イ)十二因縁の一。あらゆるおこないのこと。また、現世の結果を生む原因となった過去世のおこない。
(2)〔仏〕〔梵 cary〕宗教上の実践。悟りを開くための修行・行法。
3)〔仏〕〔梵 gamana〕進みゆくこと。歩くこと。行住坐臥(ぎようじゆうざが)の四威儀の行。
   (金龍禅寺の被爆樹木クロガネモチ説明板)
不死身の被爆樹木クロガネモチにあやかりたいと、多くの方々から幸運の樹として、温かく愛され見守られています。
いつの間にか、訪れる人々の口コミで脇根の伐り口を覆った保護銅蓋の上を、「長寿・厄よけ祈願」をこめて、いたわる様に撫でながら樹名と寺名に因んで 金運を祈り、こころ和やかに本堂・寿蔵六地蔵に合掌しておかえりになるほほえましい被爆樹木ガイドのコースになりました。
   南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)


のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

18.12.25.撮影

18.12.25.撮影

18.12.25.撮影



広島の神社仏閣」編
(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)



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金龍寺
(金龍禅寺)被爆樹木クロガネモチ
(被爆した)墓石
 


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