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中区東白島町に建てられている「寂静山專稱院・禿翁寺」です。 |
知新集によると
『寂静山專稱院禿翁寺は浄土宗のお寺で、沼田郡廣島新開白島村にある。
開基は、信譽(誉)禿翁と云い寛永年中(1624-1644)当寺を草創し、其れを寂譽に譲る。そのことから開基の名をとって寺號を禿翁寺とし、寂譽(俗名:周防、紀伊国若山の人、延宝2年=1674年遷化)を第一世開山とする。』と記述しています。 |
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禿翁寺は、1945(昭和20)年8月6日被爆で、本堂などは焼失したそうです。
爆心地より≒1,580m (被爆当時町名も東白島町) |
現在の本堂は、原爆の焼け跡から資材を集めて建てられたそうです。
その後改築が行われたそうですが、当時の資材が今もお寺の一部として残っているそうです。 |
現在、境内に被爆による火災でひどく傷んだお地蔵(六地蔵)様、五体鎮座されています。
2007年新聞をみているとご住職の話が載っていました「六地蔵尊の内の一体は、原爆で粉々になったそうで、生き残った前代住職(橋本法道師)家族の身代わりになっていただいたのではないだろうか」ということでした。 |
木造阿弥陀三尊像は、広島市の重要有形文化財として昭和62(1987)年11月に指定されています。 |
被爆樹木の広島市の資料を見てこのお寺にもあったのかと訪ねたのです。
被爆した紅梅が咲いていないか寄ってみると、紅梅と云われていますが、咲いていた花は薄いピンク色で紅色を失っているように(わたしには)みえたのですが。 |
今(2011)年「緑の伝言プロジェクト」発行の被爆樹マップをみていると、『クスノキ、アラカシ、クロマツ』も被爆樹として紹介がありましたので、撮影に行ったのです。
いままでこの頁に被爆した紅梅、カエデも一緒に編集していましたが別頁に編集しましたので、この頁を再編集しました。 |
11.02.26再編集 05.11.09裕・記編集 |