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中区白島九軒町に創建されている「岩尾山興善寺(いわおざんこうぜんじ)宝勝院」です。
※広島新四国88ヶ所霊場第64番霊場です。 |
宝勝院は、真言宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。
知新集によると、
僧仙が毛利氏より寺地を賜り、1599(慶長3)年宝勝院を創建したとあり、境内には(鎮守)碇大明神の社や、稲荷大明神の社があると記述があります。
お寺の縁起をみると、往古よりここ箱島(白島の古名)に祀ってあった掟明神社を造営しその別当として、広島城築城奉行・二宮太郎右衛門就辰(1546?-1607)の子孫・増仙法印を開基として伽藍一を建立させ社領五百石を給わったが、福島正則(1561-1624)の代に寺領を没収されました。
1868(明治初)年神仏分離で碇神社と境内を分離縮小されました。 |
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1945(昭和20)年8月6日原爆により諸堂ごと焼失しました。
本堂は1951(昭和26)年9月23日再建されましたが、老朽化したことで1974(昭和49)年新本堂が建立されました。 |
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広島市市民局国際平和推進部作成の被爆樹木の資料を見てこのお寺にもあったのかと訪ねたのです。
別資料をみて、宝勝院碑、墓石などが被爆したものとして記載がありました。 |
爆心地より≒1,820m 被爆当時町名も白島九軒町 |
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現在の庫裏は、定礎板から1979(昭和54)年11月竣功したことが分かりました。 |
(水子)地蔵尊が昭和51(1976)年よりお祀りされている処に被爆した椿があるのですが、撮影に行った時、若いご夫婦がお参りされていましたので、少し離れた処でお参りが終わるのを待ったのです。 |
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2010年7月終わりになって新聞報道で、宝勝院の墓地に大田洋子文学碑が建立された事を知り撮影に行きましたので、この頁を再編集しました。 |
10.08.24再編集 05.11.17裕・記編集 |