(宝勝院の)被爆樹木:ボダイジュ

  中区白島九軒町の宝勝院にある「被爆したボダイジュ」です。
*2015年までは移植された親木がまだ立っていましたが、2018年みると親木は伐採されていました。
*新しい被爆樹木標識には'‘ひこばえ’を植えたものと解釈しました(が、寂しくなってしまいました)。
※境内には他に“被爆したツバキ”があります。(別頁で編集しています)
(新しい標識) 被爆樹木  ボダイジュ
A-bombed Trees Bodaiju (Tilia miqueliana
            爆心地から1,820m
寺院内で被爆した親木から芽吹いた苗を移植したものです。
被爆樹木  ボダイジュ  A-bombed tree Tilia Miqueliana
爆心地から1,820m
Approx. 1,820m from hypocenter
このボダイジュは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。1974(昭和49)年に新本堂が建立された際に、現在の場所へ移植されました。
(水子)地蔵尊が昭和51(1976)年よりお祀りされている処に被爆した椿があるのですが撮影に行った時、若いご夫婦がお参りされていましたので、少し離れた処でお参りが終わるのを待ったのです。
2008年6月訪ねたときに、ボダイジュが花を付けていましたので小雨の中でしたが撮影しましたので、今回被爆樹木の頁として分離独立しました。
2018年新しい白色の被爆樹木標識になっているだろうと訪ねました。しかし、いままで境内でその存在感があった被爆したボダイジュが無くなっていることに驚いたわたしでした。
新しい白色の被爆樹木標識がなんとも寂しく、近づいてみるとその説明文から『親木から芽生えた』つまり“(ひこばえ”を植えたことを知りました。
今回再編集にあたり、2005年、2007年(種がなった時)、2008年(花咲いた時)、2011年、2015年の掲載画像を増やし、まだ元気だったころの被爆ボダイジュ親木を偲ぶことにしました。
2018年撮影画像はボダイジュはまだ苗木と云っていい大きさ太さですがよくわからな画像になっていますが、≒▽形の葉っぱがボダイジュです。
18.12.17.再編集    05.11.17裕・編集

05.11.03.撮影
広島市中区白島九軒町12-4  宝勝院 

05.11.03.撮影
被爆樹木・ボダイジュをお寺側よりみました

05.11.03.撮影
ボダイジュの葉っぱは≒▽形をしています(印度ボダイジュとは違います) 

07.03.30.撮影
 枯葉がわずかですが残っていました

07.03.30.撮影
ボダイジュの実が下がっていました

08.06.28.撮影
被爆樹木・ボダイジュが花をつけていました

08.06.28.撮影

08.06.28.撮影
 花が咲いていました

11.12.03.撮影
  枯葉が残っていました

15.04.09.撮影
 (被爆ボダイジュ親木をわたしがみたのはこの2015年4月が最後でした)

15.04.09.撮影
新芽のふくらみは小さくともあるようでした(のでまだ枯死したとは思っていませんでした)

15.04.09.撮影
根回りをみました

15.04.09.撮影

18.06.21.撮影
 新しい被爆樹木標識がポツンとあり、被爆ボダイジュは枯死したのだと寂しく思いました

18.06.21.撮影
 被爆樹木標識に近づき説明文を読むと新芽を植えたとありました

18.06.21.撮影

18.06.21.撮影
(葉っぱがない幹もありました)    細い幹でひょろひょろと伸びているものも



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