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中区白島九軒町の心行寺に建立されている「岡岷山の墓」です。 |
岡岷山(おかみんざん:1734-1806) |
広島藩士、日本画家。名は、煥(かん)。字(あざな)は君章。通称は、利源太(墓石に刻まれています)。
幼くして、広島藩の絵師・勝田幽渓に学び、のち宋紫石(そうしせき:1715-1786)の門に入りました。中国清代の画家・沈南蘋(しんなんびん:1682- ?)風の密画をよくし、藩主・浅野重晟(1743-1814:在職1763-1799)に仕え画道によって侍士に進みました。
厳島神社に「松竹梅図」額がのこされています。
1797(寛政9)年芸北山県郡都志見・名瀑の駒ヶ瀧を見物する旅に出て、道中記「都志見往来日記」をしたため史跡・風物に独自の解釈を著し、さらに当時の各地の風景を「都志見往来諸勝図」に描いています。 |
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*岡岷山〔原著〕「都志見往来日記・同諸勝図」広島市立中央図書館発行は、各区の図書館で借りることができます。 |
2007年五日市公民館発行「西国街道ぶらり散策まっぷ」をみて西区井口で「がきの首地蔵」を訪ねたのです。そのマップに岡岷山の写生旅行での「都志見往来日記」「同諸勝図」があることをはじめて知り、わが町安芸区図書館で同書を借りて、岡岷山の絵をみました。
時は2012年になりましたが、交流ウォーク・白島地区下見の時、Mさんが中区区政振興課発行の「広島城北大絵図」に岡岷山のお墓がここ心行寺に建立されているとありますよと云われたのです。
ここ心行寺は、被爆したソテツ、被爆した墓石を拝見するので訪ねていましたが、岡岷山のお墓の事は、(わたしは)知りませんでした。 |
12.06.12裕・記編集 |