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廿日市市宮島町伊勢町に建てられている「伊屋山(いおくざん)存光寺」です。
※広島新四国88ヶ所霊場第72番霊場です。 |
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存光寺は、曹洞宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。
天文9(1538)年和泉州多武の峯浄土院というところから、存光坊真空寂如阿闍利が来られ、阿弥陀三尊仏を祀られたのがはじまりです。江戸時代になってから廿日市の洞雲寺(十五世骨岫玄的大和尚が再興)の末寺です。
約300年前に出雲の一畑薬師から十二支人を持ち帰って開いたと伝えられる薬師堂があり、目の不自由な人に対してご利益があるそうです。
かつては今伊勢神社の例祭日にこの存光寺で湯立神楽が行われました(普通の湯立神楽と違い)甲冑を着け、太刀を帯びた四人の者が舞うもので、厳島合戦で敗れた陶軍の将兵の霊を弔うためものだといわれていたそうです。 |
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広島市中区中町平和大通り北側緑地に「移動演劇さくら隊原爆殉難碑」が建立されています。
移動演劇桜隊の丸山定夫(新劇俳優:1901-1945)は広島市堀川町99番地で1945(昭和20)年8月6日被爆し、比治山附近に避難し、やがて坂町の鯛尾臨時収容所※に収容されました。
そして、ここ(当時)佐伯郡宮島町の存光寺に移り敗戦を迎え、翌日8月16日に亡くなったことを江津萩枝著『櫻隊全滅』を読んで知ったのです。
宮島に行った時立ち寄ってみようと思っていたのです。 |
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※当時:広島県安芸郡坂村の鯛尾には高射砲陣地(暁2953部隊)があったと聞きます。 |
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関連頁:移動演劇さくら隊原爆殉難碑 |
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2006年初詣で厳島神社を参拝した後、(帰宅のため)宮島桟橋に帰る道すがらここ存光寺を訪ねました。
厳島神社への参道から離れているからでしょう静かな環境の中に建立されている存光寺は曹洞宗のお寺でした。
2007年桜隊の丸山定夫がお世話になり亡くなったであろう庫裡をみました。お寺の方は居られないようでしたので外から撮影だけにしました。山上の今伊勢神社から降りる時に庫裡が上からみえましたので撮影していました。
2007年山門を撮影した画像には“広島新四国88ヶ所霊場第72番霊場”の標識が掛かっている処の画像は巧く撮影できていませんでしたので、2015年山門を撮影した画像を加えました。
2018年広島新四国88ヶ所霊場やっとやっとで巡礼満願成就しましたので、88ヶ寺の編集頁を見直していますので、ここ存光寺も今になりましたが、画像を加え再編集しました。 |
23.12.10.再編集 06.01.29裕・記編集 |
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存光寺 |
ここでは、山門から本堂、(丸山定夫櫻隊隊長が被爆後養生したであろう)庫裡を取り上げました |
本堂には鍵がかかっており本尊の阿弥陀如来さまを拝見してのお参りはしていません。 |
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06.01.03.撮影 |
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広島県廿日市市宮島町伊勢町801 |
曹洞宗 |
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06.01.03.撮影 |
山門 |
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06.01.03.撮影 |
本堂 |
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06.01.03.撮影 |
桜隊の丸山定夫がお世話になったであろう庫裡をみました |
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07.11.03.撮影 |
(内部が少し見えましたが上がることは遠慮しました) |
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07.11.03.撮影 |
今伊勢神社から降りてきる途中存光寺庫裡がが見えました |
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15.01.03.撮影 |
(2006年にはなく2007年取り付けられた)広島新四国88ヶ所霊場第72番霊場の標識 |
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23.02.12.撮影 |
この付近が、「海抜3.9mの標識」を見て(から)地蔵堂が無くなったのではと近づいていきました |
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23.02.12.撮影 |
山門 |
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23.02.12.撮影 |
本堂 |
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23.02.12.撮影 |
(無住?の)庫裡 |
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23.02.12.撮影 |
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(存光寺)薬師堂 |
中央にお祀りされている薬師如来坐像の両側に、(眷属といわれる)十二神将が安置されているようです。 |
山門を入って右手に建立されている薬師堂です。
火災予防でしょう「勝手に線香、ローソクを立てないでください」との注意書きが目に入りました。 |
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08.02.14.撮影 |
薬師堂 |
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08.02.14.撮影 |
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(存光寺)地蔵堂 |
お地蔵様をお祀りしているお堂です。
2023年2月みたときお堂が無くなり、お地蔵さまが雨ざらしになっていました。 |
道路沿いに向かって鎮座されていますので、道路を行き来する人々をお守りしてくださっているのでしょうね。
台風などの災害でお堂に被害が出たのだろうかと思いましたが、詳しい事情はわたしにはわかりませんが。 |
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05.11.03.撮影 |
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存光寺山門横、鎮座のお地蔵様 |
南無地蔵菩薩 |
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23.02.12.撮影 |
お堂が無くなったお地蔵さま |
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23.02.12.撮影 |
慈悲のまなざしで、前を通る人々をお守りしてくださっているのでしょう |
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23.02.12.撮影 |
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23.02.12.撮影 |
境内の方からみました |
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(境内建立)小口権兵衛頌徳碑 |
境内西側に建立されている頌徳碑です。
小口権兵衛という人物を頌徳した人(とわたしは読みました)。 |
当初、北口と思いましたが、碑についたカビで北に見えただけで彫られた文字は小だなと見ました。
この人物に関する碑文が無く、台座にこの碑の發起人の名前が刻まれた石板が取り付けられていました。
振工會長 梅林義一
物産組合長 宮郷忠兵衛 とありますので、明治後期に”振工?長”だった人物だったのだろうと推測しました。
ただ、振工会というのがわかりません、振興会ならそれなりの意味はわかるのですが。 |
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23.02.12.撮影 |
山門を入って左手に建立されています |
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23.02.12.撮影 |
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23.02.12.撮影 |
小口権兵衛頌徳碑 |
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昭和十一年五月建之 (=1936年) |
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23.02.12.撮影 |
昭和十一年五月廿七回建之 1936−27=1909年=明治42年 |
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