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廿日市市宮島町北大西町にある「亀居山放光院(ききょざんほうこういん)大願寺」です。
※広島新四国88ヶ所霊場第一番霊場です。
※高野山真言宗のお寺で、本尊は釈迦如来、主尊が厳島弁財天です。 |
亀居山放光院(ききょざんほうこういん)大願寺の開基は不明ですが、建仁年間(1201〜1204)の僧・了海が中興の祖と伝えられています。
後奈良天皇の享禄年間(1528〜1532)から明治まで厳島神社の普請奉行として寺院の修理・造営を一手に担い、千畳閣、五重塔、多宝塔などから形成される“厳島伽藍”の中心をなしていました。
平成18(2006)年4月に明治時代に焼失した護摩堂が140年ぶりに再建され、本尊不動明王半迦座像の開眼式行われました。 |
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現在の本堂は、昔は僧坊で、大経堂の千畳閣が(完成すれば)本堂になる予定でした。
現在の本堂には、薬師如来坐像、(千畳閣から移された)釈迦如来坐像・阿難尊者像・迦葉尊者像、(五重塔から移された)釈迦如来座像・文殊菩薩・普賢菩薩の三尊像、(多宝塔から移された)薬師如来像、などが安置されています。
主尊の厳島弁財天は、秘仏で(明治の)神仏分離令までは厳島神社本殿に祀られていました。 |
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厳島弁財天は、江ノ島神社(神奈川県)、竹生島の宝厳寺(滋賀県)と共に、三大弁財天と称されています。 |
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また、1866(慶応2)年9月(軍艦奉行)勝海舟(1823-1899)*2と長州の使者(広沢兵助・井上聞多など)との和平会談(幕兵が撤退する時長州兵が追撃しないことなどを条件として休戦交渉の協定を成立)が寺の一室(書院)で行われたそうです。 |
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勝海舟は単独渡島し、宿所は塔の岡の粟屋三兵衛の家で旧宮島町役場の右手前角であったそうです。 |
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高野山派(こうやさんは) |
真言宗の一派。高野山金剛峰寺が総本山。
1900(明治33)年高野派を公称。のち大覚寺派・御室派と合同して古義真言宗と称したが、1946(昭和21)年高野山真言宗として独立。高野派。 |
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2006年正月初詣にきたとき撮影してこの頁を編集しました。2007年にも撮影して更新しました。 |
大願寺の現在境内がわかるような画像を撮影していなかったと2012年撮影していました。 |
2015年のいまになりましたが、頁を全面的に見直し、いままで撮影してきた画像を整理して、分離独立出来るものは別頁で編集し、この頁も再編集しました。 |
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追記 |
本尊に関して
(わたしは本尊:薬師如来、脇士不動としていましたが)、Wikipediaをみると薬師如来、弁才天とあります。のでそう訂正しようかなと思いましたが、広島新四国八拾八箇所霊場会の資料をみなおしてみると本尊「釈迦如来」とありましたので、今回上記のように訂正し、画像を(下段に)追加しました。 |
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関連頁:(裕編集)「広島新四国八十八ヶ所霊場」 |
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山門(仁王門)の画像を編集していなかったので2015年改めて撮影していました。
広島新四国99ヶ所霊場巡礼の満願になった2018年になりましたがこの頁更新しました。 |
18.04.23.更新 15.06.04.再編集 06.01.31裕・記編集 |