(大願寺へ寄進の)錦帯橋模型

  廿日市市宮島町北大西町の大願寺に奉納されている「錦帯橋模型」をこの頁で取り上げました。
  奉納札:錦帯橋 日本三大名橋の一つ、岩国の現在橋二十五分一、
                      明治29(1896)年・奉寄進:岩田三郎左門
本堂正面から左側の軒下に、明治時代に開催されたパリ万国博覧会に出展された錦帯橋の1/25の模型が奉納され展示されています。
この模型は、1950(昭和25)年台風29号で流出し、錦帯橋を再建する時の参考モデルになったそうです。
               錦帯橋(きんたいきょう)
山口県南東部、岩国市の錦川(岩国川)に架けられた橋。5個の反り橋からなる木造橋で、日本三奇橋の一つとして知られ、国の名勝にも指定されています。
橋の創建は、1673(延宝元)年岩国藩主吉川広嘉(きっかわひろよし)の代で、甲斐(山梨県)の猿橋(さるはし)や中国の「西湖志」の六橋にヒントを得て、創案されたといわれています。
橋の長さは橋面に沿って210m、幅5m、橋台の高さ5mで、木材を組み合わせ、巻き金とかすがいのほか1本の釘(も使わず、力学的にも優れた構造をもつ美しい橋です。
武家屋敷のある横山と城下町の錦見(にしみ)を結ぶ城門橋でした。
いくたびかの修築を経て、創建当時の姿を保っていましたが、1950(昭和25)年のキジア台風の大洪水で流失、1953(昭和28)年に再建されました。
現在の橋は、1953年に再建された橋を架け替えたもので、2004(平成16)年完成したものです。
関連頁:錦帯橋(概説)
参考にした一般社団法人・宮島観光協会がいっているのは、パリ万博出展だけで、いつのパリ万博なのだろうと思ったのです。そこで、パリ万国博覧会についてWikipediaをみると、
1855年、1867年、1878年、1889年、1900年、1825年、1937年、1947年と度々開催されたようですね。
その内、この模型が寄進された1896年以前で、帰りの便なども考えると、1889(明治22)年に出品したというのが最有力でしょうね。
2006年に大願寺の頁を編集する時には、この錦帯橋模型の事を(わたしは)知りらなかったのです。
2008年頃から交流ウォーク関連で宮島を歩き資料をみている時にこの模型の事を知りましたが、撮影したのは頁にするかと思った2012年でした。
2015年のいまになりましたが、撮影画像を整理していますので、この頁を編集しました。
15.06.07.裕・記編集

12.04.07.撮影
広島県廿日市市(旧佐伯郡)宮島町北大西町3  

12.04.07.撮影
(1橋から5橋の方をみました)

12.04.07.撮影
寄進札 (4橋)

12.04.07.撮影
(5橋)

12.04.07.撮影



「安芸の宮島」編


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  (大願寺へ奉納)錦帯橋模型
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