(いつくしまじんじゃ) ごじゅうのとう
(厳島神社)五重塔

  廿日市市宮島町の‘塔の岡’に建てられている「五重塔」です。
※もともとは、大聖院の子院・金剛院の五重塔でした。明治の神仏分離令で厳島神社の管理に移管。
※正式には「(厳島神社末社)豊国神社の五重塔」だそうです。
この五重塔は重要文化財で、応永14(1407)年建立、総高29.3m、建物の形式は禅宗様(ぜんしゅうよう)に和様(わよう)を加えた様式です。
特徴として屋根軒先の反りが大きい(禅宗様)入口の板扉(和様)などにみられる。
明治初(1868)年の神仏分離令により、塔内の仏像は大願寺に移し、建物は厳島神社が維持管理するようになったと云われています。
     三間五重塔婆※、檜皮葺、高さ27m   明治33(1900)年4月7日国指定の重要文化財
和様と禅宗様が融合されて、みごとな構成をなす五重塔です。
室町時代の応永14(1407)年創建と言われ、露盤(ろばん)下品軒覆の鉄板鋳銘から戦国時代の天文2(1533)年に改修されたことがわかります。九輪を鋳造した廿日市鋳物師(いもじ)山田壱岐守の名もあげられています。
初重の柱は上部を金襴(きんらん)巻とした朱漆塗で、それぞれ彩色の寄附者の名が記されています。
内陣の天井は雲竜、来迎壁は表に蓮池、裏に白衣観音、周囲の壁板は瀟湘(しょうそう)八景を添景とした真言八祖の壁画です。
※上記解説は、広島県教育委員会の資料「厳島神社五重塔」を参考にしました
(とうば)
塔婆:
1)「卒塔婆」の略。
2)墓のこと。
(そとば)
卒塔婆:
1)供養・報恩のため、仏舎利や遺物などを安置した建造物。浮図(ふと)。塔婆。塔。そとうば。
2)供養・追善のため、墓などに立てる細長い板。
  塔の形の切り込みがつけられ、梵字・経文などが記されている。板塔婆。塔婆。そとうば。
(とう)
塔:
1)〔仏〕〔梵語の音訳「卒塔婆」、およびその略である「塔婆」の略。頂・堆土の意〕
  供養・祈願・報恩のために建てられる多層の建造物。
  元来は、仏の遺骨や遺品を収めた各種の建造物をいう。死者の墓の上に建てられる木や
  石の墓標なども塔と呼ばれ、国や時代により形態は多様。
2)高くそびえ立つ細長い建物。
初詣などで来た時にみていた五重塔でしたが、2006年になって撮影しこの頁を編集しました。
交流ウォーク下見でみた2007年11月他の五重塔と3つ違いがあるが知っているかと会長に尋ねられました。わたしはわかりませんでした(修学旅行生に説明していたガイドさんの話を聞いたところではとのことでしたが)
「(1)屋根が反り具合は他にない (2)屋根が桧皮葺 (3)芯柱(親柱)が2階までしかない」 と教わりました。
2015年1月3日は前日までの積雪が残っていましたが、この五重塔を撮影した午後には融けていました。
(プロと云われる写真家はそれを逃さないように撮影したのでしょうが)わたしは残雪もないいままで見てきた風景と変りはなかったのですが、ここからの画像をHPに掲載していなかったように思ったので撮影しました(1枚の画像ですが掲載しこの頁を更新しました)。
コロナ禍の2021年閑散とした宮島でした。遅い初詣のあと桟橋に帰る途中撮影しました。
22.06.05.更新    06.01.29裕・記編集

06.01.03.撮影
広島県廿日市市(旧佐伯郡)宮島町1-1

06.01.03.撮影

06.01.03.撮影

07.11.03.撮影
町家通りからみた五重塔

15.01.03.撮影

15.12.18.撮影
幸町からみた五重塔

15.12.18.撮影
豊国神社 と 五重塔

21.01.22.撮影
閑散とした宮島でした



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