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安芸郡海田町上市の(海田市)熊野神社に建立されている「明治三十七、八年戰役紀念・碑」碑(日露戦争記念碑)で、6名のお名前が刻まれています。
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記念碑の根際の石碑が昭和51年6月吉日と刻まれていますので、砲弾を載せて1976(昭和51)年に再建されたのだろうと(わたしは)思っているのですが。 |
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)明治三十七、八年戰役=日露戦争(にちろせんそう) |
1904(明治37)年2月から翌(明治38)年にかけ、満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争。
ロシアの南下政策に対して日本は英・米の支持の下に強硬政策をとり開戦。日本軍は旅順攻略・奉天会戦・日本海海戦で勝利を収めたが、軍事的・財政的に限界に達し、ロシアでは革命運動の激化などで早期戦争終結を望み、両国は米国大統領セオドア・ルーズベルト(1858-1919:25代・26代1901-1909)の勧告をいれて、1905(明治38)年9月ポーツマスで講和条約を締結した。
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被爆70年の2015年久しぶりに熊野神社に建立の「海田町・戦没者原爆死没者慰霊塔」を訪ねたのです。その時熊野神社も参拝したのです。
2006年参拝した時は、境内もろくに見なかったので、この明治35・8年戦役記念碑(日露戦争記念碑)には気が付かなかったのです。今(2015年)回参拝した時この日に気が付き頁を編集しようと撮影しました。 |
06.02.28裕記編集 |