|
安芸郡海田町上市の熊野神社に建立されている「紀元二千六百年記念樹」碑です。
*現在、植樹されたという樹木は枯死して見当たりません。
だからでしょうこの石柱の後ろに二代目?が植樹されています。建立者は海田市町となっています。 |
* |
1889(明治22)年4月1日町村制施行時に海田市町となりました。
1956(昭和31)年9月30日海田市町+東海田町=(安芸郡)海田町となり現在に至る。 |
|
1872(明治5)年に、神武天皇(大和の橿原宮で即位したという)即位の年(西暦紀元前660年)を皇紀元年としましたが、いまは普通用いられることはありません。
1940(昭和15)年が「紀元2600年」にあたることから政府は、1935(昭和10)年「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や皇族関係陵墓の整備など記念行事の計画・推進を進め、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められていたため、これらの行事はおしなべて神道色の強いものだったようです。 |
|
被爆70年の2015年久しぶりに熊野神社に建立の「海田町・戦没者原爆死没者慰霊塔」を訪ねたのです。その時熊野神社も参拝したのです。
2006年参拝した時もこの紀元二千六百年植樹碑もみましたが見ただけでした。今(2015年)回参拝した時頁を編集しようと撮影しました。 |
16.02.28裕記編集 |