(熊野神社)共立敬愛碑

  安芸郡海田町上市の熊野神社境内に入ってすぐの石燈籠後側に建立されている「共立敬愛碑」です。
もとは社号を熊野神宮と称していましたが、1873(明治6)年熊野神社と改称したもの社殿の改築などが必要な状態だったのでしょう。
共立講(113名)で以って、1879(明治12)年11月から1885(明治18)年4月にかけ社殿他参道、石垣、神輿蔵などを新しく造ったことを記した石碑で、愛国、神を敬う心の欠如を若者に訴えているようでもあります。
石碑には、側面裏面に(わたしの数え間違いがなければ)その113名の名前が刻んであるようです。
被爆70年の2015年久しぶりに熊野神社に建立の「海田町・戦没者原爆死没者慰霊塔」を訪ねたのです。
2003年原爆死没者慰霊塔を訪ねた時には横目で見ただけで、その後も見るだけの石碑でしたが、今(2015年)回は頁を編集しようと思って撮影しました。
軍人勅諭が、1882(明治15)年1月4日明治天皇により陸海軍の軍人に下賜したことで、愛国心を国民に求める風潮があったのでしょう。1885(明治18)年7月建立のこの碑の碑文にも間接的に反映しているのかもしれません。
 16.02.23.裕記編集

15.03.03.撮影
広島県安芸郡海田町上市4-1   熊野神社

15.03.03.撮影
碑愛敬立共









 


























































































 




輿



殿





































































































 

























































































 
 
明治12年=1879年。明治18年=1885年。
■は、文字が削られ判読できません。
※撰文の横佩氏は矢口神社建立の小原伊兵衛翁紀念碑の碑文も

*碑文は、yatonosuke氏編集HP「漢詩と石碑漢文の世界」を参照しました。

15.03.03.撮影

15.03.03.撮影



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