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安芸区上瀬野の平山神社に大正14(1925)年5月10日建立された「忠魂碑」です。
*戦死者の内、原爆での死者は、軍人3名。軍属1名。学徒動員15名。義勇隊員2名。が祀られています。
※大正14年碑建立時は上瀬野村でしたが、昭和22年(下瀬野村と合併)瀬野村、合祀された昭和43年時瀬野村 |
(表面)
忠魂碑
元帥子爵 川村景明書
(側面)
大正十四(1925)年五月十日建之
(もう一方の側面)
文字が刻まれていたようです*1。 |
(裏面)
日清戰役中明治廾八年二月廾二日於韓國義州病没(1名)
日清戰役中明治廾八年六月七日於清國海域病没(1名)
北清事変中明治卅三年七月十一日於清國天津停車場戰死(1名)
日露戰役中明治卅七年七月十三日於清國盛京省蓋州河竜湾堡下
流戰死(1名)
日露戰役中明治卅八年六月廾七日於清國盛京省山崗堡病没(1名)
支那事変 大東亞戦争戦死戦傷病没(47名)
学徒動員原爆死(16名)※ 〔このうち1名は軍属〕
義勇隊原爆死(2名) |
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碑裏面に各戦役で戦病死した方々のお名前が刻まれています。
*1)上瀬野村建之(上瀬野村在郷軍人会建之)等と刻まれていたのでしょうがわたしには判読できません。 |
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一般的に「忠魂碑」は戦死者を記念(祈念)する石碑のことで、日露戦争(1904-1905)後、全国に広がったそうです。
平山神社に建立の忠魂碑もそのような趣旨で建立されたのでしょうが、戦後になって、原爆で亡くなった方々のお名前が加刻されています。 |
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碑の裏面をみると、この地(上瀬野村+下瀬野村)から学徒動員の学徒として、また義勇隊隊員として、1945(昭和20)年8月6日広島市内に出動し原爆で亡くなった方々も現在では刻み込まれていましたので原爆犠牲者慰霊碑をかねる意味も含んだ碑に変わっていったのだろうと(わたしは)思いました。 |
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2017年参拝した後、拝殿梁上に架かっている絵馬を見ていた時に昭和43(1968)年9月1日に奉納された「忠魂碑合祀」額に気が付いたのです。
忠魂碑が建立されたその後に、碑に加刻された方々の詳細がわかる奉納額でした。
原爆関連の方々だけでいうと、動員学徒、義勇隊隊員、軍属の方々の被爆場所、死亡日が書き込まれていました。(下記に書き出してみました) |
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2006年ここ平山神社を参拝し、この忠魂碑も撮影しましたのでこの頁を編集しました。 |
資料をみていると同じ上瀬野の龍善寺に戦役記念碑が建立されていることを知り訪ねると、同時期の建立で従軍した人の名前が刻まれていました。 |
2015年被爆70年に訪ねることができなかったので、2017年になりましたが訪ね頭を垂れ撮影しました。拝殿に奉納された忠魂碑合祀額に気が付きましたので、画像も加えこの頁を再編集しました。 |
17.01.31.再編集 06.03.10裕・記編集 |