|
東区戸坂くるめ木に鎮座している「狐瓜木神社」です。
※1945(昭和20)年8月6日狐瓜木神社本殿・拝殿は、爆心地から4.980mで被爆した建物です。 |
祭神:誉田別命、帯仲彦命、息長帯姫命(八幡三神)
相殿神:風伯神(ふうはくじん)、事代主神
志那都彦(風伯神)、事代主神を宮野山に勧請したのは貞観2(860)年、本殿の八幡三神の勧請は永観2(984)年と伝えられています。
文永11(1274)年武田信時(?-1289)が安藝国の守護職に封ぜられ狐瓜木神社を佐東郡の惣社としました。その後、大内義隆(1507-1551)、毛利元就(1497-1571)の領主はそれぞれ神田を寄進しています。
延亨4(1747)年1月焼失。文化2(1805)年神殿拝殿を改築され、大正元(1912)年神殿が再建しました。 |
|
|
資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました。(被爆した)本殿、拝殿は、1912(大正元)年竣工。 |
拝殿(≒爆心地方向の)西側柱のうち1本が10cm内側にめり込んだので土壁が崩壊。東の間の天井と屋根が突き抜けました。また、西側にあった直径約二尺二寸の太鼓が東側の柱まで吹き飛ばされ、絵馬額面三十面が飛散するなど、被害は大きかったそうです。 |
爆心地から≒4980m (被爆当時町名:安芸郡戸坂村) |
|
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
牛田生まれのわたしですが戸坂の地にまで足を伸ばすことは少なかったのです。
今(2006年)回、被爆建物という事で(わたしは)はじめてこの神社を参拝し、撮影しました。神社設置の説明板の字が消えかかっているところがあり全文紹介はできませんでした。 |
2013年1月狐瓜木神社の境外社である(安佐南区東原の)瑞穂神社を参拝しましたので、資料で神社由緒などをみると、相殿神の風伯神(風の神)を書いていなかったりしましたので、加筆し更新しました。また、今になりましたが高所からみる広島市街地にも加えました。 |
2015年ふたたび訪ね参拝した後撮影しましたので、この頁更新しました。 |
16.02.01.更新 06.04.25裕・記編集 |