安芸国分寺跡

  東広島市西条町吉行にあり国指定の史跡「安芸国分寺跡」です。
昭和7年(1932)寺域の南西に存在した聖武天皇(第45代:701-756)の玉歯を埋めたと伝えられる塚状の地点を発掘したところ、基壇と礎石群が検出され、塔跡が明瞭になり、昭和11年(1936)に安芸国分寺塔跡として史跡に指定されました。
昭和44年(1969)以降平成12年(2000)まで12次の発掘調査が行われ、奈良時代の遺構は、門・金堂・講堂・僧坊が南北の伽藍中軸線上に配置されており、北辺では築地と溝があったと推定されています。
なお、南方5qの三永水源地北畔には、国分寺と同様な瓦を出土する窯跡があり、この付近で国分寺の瓦を生産したと考えられます。国分寺は、その後現在の安芸郡府中町に移ることになります。
安芸国分寺歴史公園の整備について        東広島市・東広島市教育委員会
真言宗國分寺を中心とする一帯の地下には、奈良時代に創建された安芸国分寺の遺構が広がっており、文化庁の補助事業としてこの貴重な遺跡の保存整備事業を行っています。この事業は、発掘調査で明らかとなる古代寺院の建物配置や規模などを表示するとともに緑地や便益施設等を整備し、利用者が東広島市の歴史に親しむことができる空間を創出することを目的にしたものです。ご理解とご協力くださいますようお願いいたします。
2006年2月12日海田町・ふるさと館で行われた。『安芸国分寺跡の調査から』という広島大学佐竹昭先生の歴史講演会を聴いたのです。考古学を専門的に勉強したことはないわたしですが、佐竹先生の話を聴き安芸国分寺跡を訪れてみようと思ったのでした。
06.07.02裕・記編集

’06.02.22.撮影
東広島市西条町吉行

’06.02.22.撮影
安芸国分寺歴史公園の整備工事

’06.02.22.撮影

’06.02.22.撮影
東側をみました (安芸国分寺跡)塔跡

’06.02.22.撮影
安芸国分寺の金堂基壇
  金堂は古代寺院の中心の建物です。
基壇と呼ばれる基礎の上に礎石を並べて建ち」、内部には釈迦三尊像が安置されていました。東西7間(28m)、南北4間(15m)と考えられます。
金堂基壇   雨落溝



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