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東広島市西条町吉行に遺されている「安芸国分寺跡(塔跡)」です。 |
史跡安芸国分寺跡(塔跡) 昭和11(1936)年9月3日 指定 |
安芸国分寺は、奈良時代天平13(741)年2月聖武天皇(第45代:701-756)の詔によって、60余国に建立された国立寺院の一つです。このうち塔は聖武天皇が写経した「金光明最勝王経」を納めた建物です。
昭和7(1932)年に聖武天皇の玉歯を埋めたと伝えられてきた塚の発掘調査を実施したところ、礎石などが見つからなかったことから、これが塔跡であることが明らかになりました。礎石は塔の心柱を立てる心礎を」中心にその周りに屋根を支える四天柱の礎石が4個並んでいます。また、最も外側には壁を支える柱の礎石が12個並んでいます。礎石の一部は調査前に移動されていたため、推定位置に復元しています。また、礎石の上面が熱で赤く変色していたことからこの塔は火災によって倒壊したものと考えられています。 |
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東広島市・東広島市教育委員会 |
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2006年2月12日海田町・ふるさと館で行われた『安芸国分寺跡の調査から』という広島大学佐竹昭先生の歴史講演会を聴いたのです。考古学を専門的に勉強したことはないわたしですが、佐竹先生の話を聴き安芸国分寺跡を訪れてみようと思ったのでした。 |
06.07.03裕・記編集 |