(多家神社鳥居額)有栖川宮親王書

  安芸郡府中町宮の町の多家神社に建てられている鳥居額の揮毫は「有栖川宮親王」です。
有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう:1835-1895)
幕末・明治時代の皇族。有栖川宮9代親王。
幕末に攘夷論を主張。王政復古とともに総裁職に就任した。戊辰戦争で東征大総督。のち、参謀総長などを歴任。日清戦争中の1895(明治28)年1月15日に没。
鳥居をみると、明治40(1907)年3月(建立)です。熾仁親王没後の鳥居ですので、親王健在中:日清戦争が勃発した1894(明治27)年親王は、参謀総長として広島大本営に下ったそうですからその時に揮毫されたものを神社額に写したのでしょう。なお、(当時水質が悪いと聞いている広島でした)熾仁親王は、腸チフスを発病、兵庫県で静養されたが病状悪化し1895(明治28)年亡くなったそうです。
にほん
二品
律令制で、親王の位階の第二等。親王の位階は一品(いっぽん)より四品まで四等級あったそうです。
2011年になって旭山神社の鳥居額に(二品親王熾仁こと)有栖川宮熾仁親王の書であることを知りました、宮島の大鳥居にもその書が残されていますので、この鳥居額もみていこうと思っているときにここ多家神社の鳥居額もみたのです。前面には神社銘だけでしたが裏側に「二品熾仁親王謹書」とありましたので、撮影しました。
12.04.14裕・記編集

11.10.01撮影
安芸郡府中町宮の町3-1-13 多家神社境内

11.10.01撮影

11.10.01撮影

11.10.01撮影



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